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ミステリの祭典

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おれの血は他人の血

作家 筒井康隆
出版日1974年02月
平均点6.00点
書評数1人

No.1 6点 人並由真
(2019/02/26 19:52登録)
(ネタバレなし)
 「おれ」こと絹川良介は中堅企業「山鹿建設」の地方支社、その経理部に勤務する23歳のサラリーマンだ。普段は小心者の絹川だが、一度一定以上に憤怒の感情が高まると意識を失い、周囲の者に際限なく暴力を振るうという特殊な体質の持ち主であった。ある夜行きつけのバー「マーチャンズ」で土地のヤクザ・大橋組の人間を三人、あっという間に半殺しにした絹川は、たまたま同じ店内にいた大橋組と抗争するヤクザ・左文字組の組員・沢村によって、左文字組の用心棒にとスカウトされる。本来は平穏な生活を願いながらも成り行きからその話に応じる絹川だが、同じ頃、彼の会社では秘められた汚職と派閥抗争が表面化。さらにヤクザと警察が通じ合う悪徳の町そのものも次第に素の顔を見せてくる。

 ハメットの『血の収穫(赤い収穫)』にインスパイアされた(らしい)昭和期のノワール暴力小説の名作。作中でも原典の話題がさりげなく登場人物の口から、事態からの連想として語られる。今で言う一種のバーサーカーモードになる主人公の肉体の秘密のネタは半ばタイトルで割られているし、さらに詳しい真実は結構、口の端に上っているので読む前から自分も知っていたが、実際の本文を読むとその経緯(なんで彼が随時そういった凶暴な狂戦士になるか)は作品の後半まで秘められており、ミステリ的にその謎に迫ってゆく流れにもなっていた。だからここでもその辺は書かない。

 たぶん作者がやりたかったことは<『血の収穫』や『用心棒』で賢しく小ずるく二大勢力の激突を誘導・演出したコンチネンタル・オプや桑畑三十郎が、もし流血の抗争の中で、もっとダイレクトに自分の手を血まみれにしたら>という思考実験であり、シミュレーションだろう。言い訳程度に劇中でイクスキューズが用意された超人化についての文芸設定の方は、そんな構想の後からついてきたような気がする。
 地方都市の中で生じる汚職事件に関して、意外にマトモなミステリ(さすがにガチガチのフーダニットとかトリック小説ではないが)になっているのにはちょっと驚いた。
 一方で当時としては酸鼻を極めたのであろう暴力描写や残酷描写は、作者がこの人(長年にわたって日本の文壇をいろんな意味でかき回してきた御仁)ならこれくらいはやるだろうという心構えができてるので、どうしてもインパクトが割り引かれてしまう。いかに作中で人がドバドバ死んでいっても、どっか昭和的なのどかさを感じないでもない。21世紀のイカれたどっかの新世代作家の新作が、当初はほかのジャンルのミステリに思わせておいて、いきなりノワール暴力小説に転調する時の方が(それで効果が上がったら)よっぽどコワいように思える。
 ただ終盤の幕切れ近い箇所でのあるシーンは、チャンドラー的なそっち系のセンチメンタリズムとロマンチシズムを感じないでもなかった。もともとハメットびいきでお気に入りのオールタイム探偵にもサム・スペードを上げていた(<あの冷酷さ>が好きだそうである)作者だけど、妙なところで地が透けたようにも思えた。まあ評者は筒井作品の代表作と言われるものでも未読が多いので、勝手な思い込みかも知れないが。

なお火野正平主演の映画は未見。もしかしたらCSかなんかでだいぶ前に録画して、観ようと思ったまま家のどっかに眠ってるかもしれない(たぶん録画媒体はVHSテープだろうな・笑)。ところで映画の題名は『俺の血は他人の血』なんだな。今回あらためて気がついた。

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