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ミステリの祭典

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必死の逃亡者
別題『シナ人の苦悶』

作家 ジュール・ヴェルヌ
出版日1972年06月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 Tetchy
(2018/03/12 23:34登録)
フランス人でありながら自国に固執せず、様々な国を舞台に、そして様々な国の人々を主人公に、登場人物にして数々の物語を紡いできたヴェルヌが本書の舞台に選んだのはなんと中国。しかも登場人物も中国人という、異彩を放つ物語だ。

しかもこの話、実に奇妙である。物語の構成としては1人の富豪の中国人が奇妙な仲間と中国全土を旅するという、ヴェルヌ定番の冒険物であるのだが、その目的が実に変っている。
31歳にして巨万の富を手に入れ、もはや世の中に飽き飽きしていた金馥という富豪がある日突然アメリカの銀行から破産宣告を受ける。それをきっかけにもはや生きる意味がないと判断した彼は反政府組織の元太平党員だった家庭教師、汪に自分を殺害するように依頼する。しかし汪は承諾するものの、それを実行しないまま消えてしまう。その直後に再びアメリカの銀行から手紙が届き、破産は偽のニュースで逆に資産が2倍に増えているという知らせを受ける。そのことで金馥は再び生きることを選択し、許嫁との結婚も決意するが、今度は自分の暗殺を依頼した消えた汪に依頼の取り消しをするために捜索の旅に出るという、実に歪な内容なのだ。正直上記のように内容を纏めていてもどこかちぐはぐな箇所があり、ツッコミどころ満載なプロットである。

この辺の物語の妙味はかつてのヴェルヌにはなかったものだ。どちらかというと旅に主眼を置いた物語展開で、その目的や動機付けに関しては正直二の次で諸国漫遊物語と云った色合い、もしくは都市の発展、無人島生活の発展といった細部にこだわった作風が多かった。

さて従来ヴェルヌ作品には有能な召使いが登場するが先に読んだ『征服者ロビュール』に登場したフランコリン同様、今回登場する金馥の召使い孫は実に無能な人物だ。むしろその役割は自社の保険金を守るために金馥の旅にボディガード役として同行した保険会社の探偵クレイグとフライがその役割を担っていると云えるだろう。
顧客の安全を守るためには命を落とすことも厭わず、危機を素早く察知して機転を利かせて即応し、サメが襲ってこようものなら、ナイフ片手に立ち向かい撃退するなど、金馥の命を幾度も救う。
よくよく考えるとこの旅の一行の構成は『水戸黄門』そのものである。金持ちの金馥が黄門様こと水戸光圀、彼を守る有能な保険会社の探偵クレイグとフライがそれぞれ助さん、格さん、間抜けだが愛嬌のある召使いはうっかり八兵衛とぴったりと当て嵌まる。紅一点のお銀に当て嵌まる人物がいないのは仕方がないが、古今東西、旅の仲間の構成は変わらぬと云うことか。

実にヴェルヌにとっては異色の作品だ。西洋人がいない東の大国を舞台にした一風変わった冒険行の物語。そして物語を読み終わった時、改めて何の変哲もない本書の題名を読むと、そこに隠された意図が見えてくることに今更ながら気付かされた。
一度も中国を訪れずに本書を物にしたヴェルヌ。しかしその本音は最後の一行こそに込められているのではないだろうか―それを見るには、中国に行く必要がある!―。

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