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ミステリの祭典

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文章魔界道

作家 鯨統一郎
出版日2002年06月
平均点5.00点
書評数1人

No.1 5点 Tetchy
(2018/02/21 23:41登録)
とにかく全編鯨氏独特のユーモア、そしてちょっぴりエロに満ちている。
まず主人公2人の設定が人を食っている。小説家デビューを目指し、日々創作しては新人賞に応募するミユキはそれまで1冊も本を読んだことがない。しかし文章が無尽蔵に湧き出る才能の持ち主。
一方彼女が師事する小説家大文豪は物語が無尽蔵に浮かぶのだが、文章を書くのが苦手でこれまで1編も小説を書いたことのない自称小説家。
この実に胡散臭い小説家とミユキのやり取りが実に面白く、さらに明らかにミユキに欲情している中年のいやらしさがにじみ出ており、まさに鯨印といったところ。
そして大文のケータイ小説と世の小説家たちをスランプに陥れている文章魔王が住む電脳世界へアクセスする文章魔界道への行き方も数々のエロサイトを潜り抜けなけれならないというバカバカしさ。当時はまだ電話回線によるインターネット通信で、携帯電話を介しての接続と時代を感じさせる場面もあり、懐かしさを覚える。

ミユキが文章魔王とその部下である第一の番人と第二の番人と対決するのは文章による対決だ。
この対決の数々はまさに鯨氏の文章遊びをふんだんに盛り込んだ内容となっている。存分にアイデアを、いや趣味の世界を繰り広げている。

しかし内容はふざけていながらも案外書かれている内容は深いものを読み取ることが出来る。
例えば本書で数々の敵を討ち斃す作家志望のミユキが武器にしているのはノートパソコンで、つまりパソコンの文章ソフトとインターネットがあれば色んな問題も回答し、さらに文章も作ることができる、つまりパソコンこそが文章作成の最良の便利ツールであることを暗に示している。作中、大文豪が人間には三大欲の他にストーリィ欲というのがある。インターネットが普及して無限の小説が書けることになった。人々はストーリィを欲し、またストーリィを書くことを欲している。
かつて森村誠一氏も同様のことを云っていたことを記憶している。人々には表現欲という物があり、みな何かを表現したがっている。簡単にケータイやパソコンで文章が作れる現在はその欲望が一気に爆発している、と。
だが一方でその安直さこそが文章の乱立を助長しているとも云える。小説の未来を憂いた文章魔王が世の小説家たちに戦いを挑んで打ち負かしたのは、ろくに本も読まずに作家になろうとしている輩が増えていることに対する作者の憤りを代弁しているかのようだ。ミユキはまさにそんな現代の作家志望者のステレオタイプとして描かれた人物だろう。

戯曲というスタイルもあって文章量も少なく、小一時間で読める内容と電脳世界での文章対決というあらゆる意味で軽い内容の本書だが、作中に収められたそれまで一遍も小説を書いたことのない男が書いた小説を内容に照らし合わせれば、文章の持つ面白さ、そして小説が読まれることの意義などが暗に含まれており、なかなか考えさせられる内容である。単純に読み飛ばすだけに留まらない作品であると云っておこう。

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