home

ミステリの祭典

login
新カラマーゾフの兄弟

作家 亀山郁夫
出版日2015年11月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 小原庄助
(2018/02/09 10:08登録)
人類の文化遺産というべき「カラマーゾフの兄弟」を名乗って新作を書くという、神をも畏れぬような企てが実現した。
しかし清新なドストエフスキー作品の翻訳と、大胆な作品解釈で話題をさらってきたこの著者には、その資格が十分すぎるほどある。原作とほぼ同じボリュームの巨編は、「よくぞ」という驚きと、「ここまで」という感嘆に値する。
阪神淡路大震災と地下鉄サリン事件に揺れた1995年の日本を舞台に、父親がかつて不審な死を遂げた黒木家の3兄弟が登場する。その名前も原作をもじってミツル(ミーチャ)、イサム(イワン)、リョウ(アリョーシャ)といった具合。ゾシマ長老も嶋省三として登場する。とはいえ、原作に精通した者しか近寄れない難解作ではないのでご安心を。むしろ本書は、亀山流に書き改められた、父親殺しの謎を解くミステリ小説の趣を持っているのだ。
物語は8月31日から9月11日までの12日間を描く。東京都中野区の野方駅周辺と、名古屋市内とを頻繁に往復しながらドラマが展開するが、その各章に著者自身とおぼしいロシア文学者「K」の手記が添えられている。この一見私小説風のパートが次第に本編と深くリンクしていくスリルが、小説としての感興をより高めている。いわば「K」の介入が道案内にも狂言回しにもなっていくわけである。
オウム真理教による坂本弁護士一家殺害事件の陰惨な結果が同時代の背景として重ね合わされる中、繰り返し問われるのは、一つには父親殺しに象徴される人の欲望の罪深さであり、他方では母なる自然と一体化したいという憧憬である。
避けることのできない宿題を我々に突きつける本書には、ドストエフスキーのみならず、大江健三郎氏や村上春樹氏を受け継ぐ意志も見て取れる。神を見失い、心の迷路に入り込んだ現代の人類文明と直面する壮大な文学の冒険である。

1レコード表示中です 書評