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ミステリの祭典

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インド王妃の遺産

作家 ジュール・ヴェルヌ
出版日1993年11月
平均点7.00点
書評数1人

No.1 7点 Tetchy
(2017/12/03 21:27登録)
ヴェルヌにしては実に珍しい作品だ。未開の地アフリカ、世界一周に地の底、月面、海底、無人島とこれまで人類未踏の地への冒険を主にテーマにしてきた彼が選んだのはインド王妃の莫大な遺産をひょんなことから相続した2人の学者の対照的な生き様、そしてそれによって生じる諍いについての話だ。

20世紀の東西冷戦を彷彿させる、ヴェルヌらしからぬ緊迫した物語だ。フランス人とドイツ人による争いの構図となっているが、実はドイツ人であるシュルツ教授の一方的な対抗意識が生んだ無意味な戦争であるのが正確だろう。
この争いを生み出す原因の1つとして民族間の軋轢が語られている。というよりもドイツ人であるゲルマン民族が他の民族よりも優秀であることを証明し、誇示するためにシュルツ教授が我が一方的にケンカを吹っかけてきているのだ。ラテン民族のフランス人、サクソン民族のイギリス人など劣っている民族は浄化すべきであるといういわば選民思想が根源にある。まさにこれは後の第二次世界大戦でのナチスを彷彿させる内容だが、実は2017年の今現在、これは北朝鮮の度重なるミサイル試射の様子と実に重なるのである。つまりシュタールシュタートが北朝鮮、翻ってフランス市は日本ということになろうか。1879年の段階で書いていたヴェルヌの先見性には全く目を見張るものがあるが、一方で好戦的な国が平穏で安泰な国を、一方的な敵意で以って攻撃を画策する構図は実はこの時代から全く変わってないとも云える。

また本書はある意味スパイ小説の先駆けとも云える作品でもある。サラザン博士によって両親を早くに亡くしたマルセル・ブリュックマンはスイス人の製錬技師ヨハン・シュヴァルツと名を偽り、シュタールシュタートの製鉄工場に入り込む。そしてそこで彼は頭角をめきめきと現し、どんどん地位を向上させ、とうとう君主であるシュルツ教授の片腕にまでなるのである。それは巷間で噂されている新兵器の情報を得るためだった。しかしマルセルはシュルツ教授の、新兵器の秘密を知った者は死ななければならないという狂気の原則論によって死刑に処せられるが、危ういところで脱出に成功するのである。
このマルセルのシュタールシュタート潜入の一部始終はまさにスパイ小説そのものだ。しかも一都市がそのまま巨大軍事企業であることを考えると産業スパイとも読めるのだ。現在最初期のスパイ小説はジェイムズ・フィニモア・クーパーが1821年に発表した『スパイ』が先駆けとされており、その後には1901年のキップリングの『少年キム』が続くが、本書もまた一連のスパイ小説の系譜に名を連ねるべきではないだろうか。

230ページ弱のヴェルヌにしては短い長編でありながら、そこに収められた内容は科学の知識を盛り込んだSF小説でありながら、都市小説、政治小説、スパイ小説、企業小説など色んな要素を孕んだ作品である。
特に今回著しく目立ったのが敵役となるシュルツ教授の極端なまでのゲルマン民族至上主義志向である。ゲルマン民族こそ世界一の民族として知らしめるために彼はフランス市を近代兵器によって壊滅させ、全世界に恐怖と驚愕をもたらし、その威力を見せつけることに執念深い拘りを持ち続ける。調べてみると本書が著された1879年はドイツはビスマルク政権下であり、オーストラリア・ハンガリー、イタリアと結んだ三国同盟やオーストリア・ハンガリーとロシアと結んだ三帝同盟によってフランスに強い牽制を行っていた時代だ。つまり当時の世相が大きく反映されており、シュルツ教授はビスマルクをモデルしたのではないかと思われる。

しかしこれほど直截的にヴェルヌが特定の国の人物を悪人にしたのも珍しい作品だ。フランス人でありながら、アフリカ人、カナダ人、アメリカ人を中心に据え、夢溢れる冒険譚を紡いできたヴェルヌが書いた、皮肉溢れる近未来戦争小説。当時ヴェルヌが抱いていた憤りがこの作品には込められている。歴史の教科書のほんの数行でしか語られなかった当時のヨーロッパの政情が本書を通じてさらに深く垣間見られる。これこそ読書の、知の探索の醍醐味と云えるだろう。

しかし解説が三木卓とはねぇ。いやはや歴史を感じさせる。

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