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ミステリの祭典

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古寺炎上

作家 司馬遼太郎
出版日1962年01月
平均点4.00点
書評数1人

No.1 4点 人並由真
(2016/07/18 03:53登録)
(ネタバレなし)
 表題作と『豚と薔薇』の、単発ミステリ二作を収録した中編集。

『古寺炎上』
 曾根崎の酒場「S」で働く女給・福家(ふくいえ)葉子は、パトロンのように毎月の手当をくれる店の中年客「池沢」と、この一年、自宅のアパートで肉体関係を結んでいた。その葉子は池沢とは別に、本来は育ちの良い青年ヤクザ・桧垣純一という情人とも付き合っている。そんなある日、洛西の延喜寺の庫裡から出火。焼け跡から寺の重職である門跡代務官・沢柳隆寛権僧正の死体が見つかるが、新聞に報道されたその男の顔はあの「池沢」のものだった。池沢は以前にSで「寺田」なる男との面談を求め、その際に不審な挙動を示していた。桧垣と葉子は池沢=沢柳の周辺に何やら金の匂いを感じ、新聞記者と偽って火事場の延喜寺を訪れるのだが…。

『豚と薔薇』
 大阪の文化団体「古墳保存協会」に務める30歳の田尻志津子。その彼女が五か月前に別れた情事の相手・尾沼幸治が、大正橋の下で変死体で見つかった。死ぬ前に尾沼は旅先の高知から、志津子宛に復縁を願う手紙を書きかけていたことが警察の調査でわかる。折しも志津子は、実兄の友人で今は大阪の新聞社の社会部次席となった中年・那須重吉と12年ぶりに再会。那須と彼の部下の社会部記者たちと連携しながら、素人探偵となって尾沼の怪死事件を探るが…。

 今さら紹介の要も無い『坂の上の雲』『燃えよ剣』そのほかの巨匠作家が、生涯で本当に例外的に手を染めた、単発の現代ミステリ2本を収録した中編集。
 本書への収録は上記通りの順番だが、実際には『豚と薔薇』が1960年の「週刊文春」に連載、表題作が61年の「週刊サンケイ」に連載された(『豚と薔薇』を表題作にした別の書籍もあるようである)。
 当時から時代・歴史小説の分野では評価の高かった作者自身が、本書刊行当時から畑違いのジャンルへの挑戦とその結果の不出来を認めたこの2作。今後もう推理小説は書かないとも公言したこともあり、この両編は後年に刊行された司馬遼太郎全集にも未収録という、現在ではほぼ幻の作品となった。それゆえか文春の司馬ガイドブック『司馬遼太郎の世界』(1996年)の巻末資料「司馬作品全ガイド」などでも黙殺されている。

 それで実際のところ、どんなかな~と思って読んでみると、うん…まぁ、確かにそれぞれしょぼい出来(苦笑)。
 特に表題作の方は、先に作者自身が取材した現実の金閣寺の火災事件の話題などもちゃんと盛り込み、さらにそこに持ち前の寺社や武家社会の歴史観などを加えて独自のミステリの方向を築こうとした気配もあるが(そういうものを書いてほしいと、編集部が依頼した可能性もアリ)、実際の完成作品は、迷走する筋立て、最後の<ミステリ的な決着>のためデウスエキスマキナ風に引っ張り出される<意外な犯人>など、ほぼ全体的になんだかな、な感じである。まぁこれまでの人生の軌跡がかなり細かく描き込まれた主人公の男女コンビには、ちょっとだけ惹かれる部分もないではないのだが。

 それに比べると『豚と薔薇』の方は、登場人物も筋立てもわずかながらいくらかマシな感じで、肝心の殺人劇の真相(もろもろのトリックも含めて)ももう少し練って書けば、クリスティーとかの諸作あたりに近いものになりえたかもしれない、そんな印象はある。
 正直なところ『豚』の方が若干手慣れた感じだからこっちが後発だろうと思っていたら、書誌を確認すると前述の通り『古寺』の方が執筆が後で、少し驚いた。高知県の製紙業界の歴史に踏み込んでいくあたりとか、『豚』の方も作者の持ち前の素養を活かそうとした雰囲気はあるんだけれど。 

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