「老いぼれ腰抜け」亭の純情 リチャード・ジュリーシリーズ |
---|
作家 | マーサ・グライムズ |
---|---|
出版日 | 1993年12月 |
平均点 | 4.50点 |
書評数 | 2人 |
No.2 | 3点 | Akeru | |
(2017/07/31 21:05登録) 結末に納得できなかった方はおられるでしょうか。 私はあなたの味方です。 たとえマーサグライムズ本人があなたの味方でなかったとしても、私はあなたに同意します。 以下、重大なネタバレ有。 まず推理小説としての文法がおかしいといいますか、結局『犯人は絶対的にこの人以外にあり得ない』という指摘が不十分な気がします。 それもこれも終始動機を追いかけてるのにも関わらず、犯人の動機は突然出てきたような印象を受けるからです。 まあ、一読しかしてない自分には批判の資格はないのかもしれません。 が、一読でわからせないほうにも問題があるのでは。 閑話休題。 しかし一番の難点はオチでしょう。 かつて日本ミステリー界には「意味もなく子供を殺すべきではない」という論者がいらっしゃったようです。(佐野洋推理日記より) 正直、私はその議論に興味がなかったです。 意味のない殺人は子供に限らずNGだと思いますし、意味があるならば子供を殺すのでも構わないと思ってました。 この作品の前まで。 どうなんですか? このオチ。 メルローズもジュリーも「犯人はクソだからぶち殺されるべきじゃねえ?」と話してた後に子供がそれを成し遂げるってのは。 子供が殺人をすることの倫理観っていうよりも、その直前に「犯人はクソだね」←でも殺してないじゃん? っていう大人側の意思の薄弱さというか、正義を見逃してる感というか…。 ポアロがそうしたように、とか、ドルリーレーンがそうしたように、とかは言いません。 そうじゃなくて、この結末に至らないように作者に対して…「もっとこう… あるだろう!」と言いたい。 |
No.1 | 6点 | nukkam | |
(2016/05/18 12:20登録) (ネタバレなしです) 1991年発表のリチャード・ジュリーシリーズ第11作の本格派推理小説です。前作の「『古き沈黙』亭のさても面妖」(1989年)同様に分厚い本ですが、前作に比べて格段に読みやすく感じたのは複雑な人間関係の中でも物語の中心人物をしっかり設定しているからだと思います。ジュリーの謎解き説明もこの頃の作品の中では丁寧に犯行を再構成していてわかりやすいものです。もっとも推理にはかなり苦しいところがあるし、中盤では一時退場にされてしまうなど脇役扱いとまではいわないまでも今回は結構ひどい扱い方をされています(笑)。結末が予想だにしない「荒々しい」決着の付け方で終わっており、これには読者も賛否両論かも。それだけに強い印象を残していることは間違いありませんが。 |