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ミステリの祭典

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自決 森近衛師団長斬殺事件

作家 飯尾憲士
出版日1982年08月
平均点8.00点
書評数1人

No.1 8点 クリスティ再読
(2016/05/15 23:41登録)
以前「成吉思汗の秘密」を酷評したことがあったが、じゃあ「歴史ミステリとして優れた作品って何だ?」と考えた末、本作なんかどうか?と思って取り上げる。本作は一応直木賞の候補に挙がったこともあるわけで、わりと売れた作品である。しかし本サイトでは全然ノーマークの作品だろう。というのも、作品の舞台はいわゆる「日本のいちばん長い日」、1945年の終戦と玉音放送をめぐる徹底抗戦派によるクーデター未遂事件(宮城事件)を扱っているからだ。以前は確か集英社で出ていたが、その後戦記出版社で有名な光人社から文庫が出たわけで、さすがに旧軍や戦史について多少の予備知識がないと読みづらいだろうな...
副題の「森師団長斬殺事件」とは、クーデター派が近衛師団を動員しようとして師団長森赳中将を説得したが、決裂して森師団長が斬られた事件を示す。もちろん師団長殺害にもかかわらずクーデターは失敗し、日本はポツダム宣言を受諾して終戦になるわけだが、クーデター参加者の多くは自決して、密室でなされた師団長殺害事件の細かいことはよくわからなくなってしまった。しかし、従前殺害に直接手を下したとされる上原重太郎大尉は殺害に関与しておらず、別な少佐が殺害した罪をかぶって自殺した...という雑誌記事が出たことをきっかけに、著者がこの師団長殺害事件の真相解明を志すところから始まる。
本作の一番イイところは、著者自身がこの事件に引き続き上原大尉自身の配属先である陸軍航空士官学校での徹底抗戦に向けた動きにも参加した、上原大尉の区隊に所属した士官候補生であり、生前の上原大尉に強い印象を受けていた人である、ということである。要するにモブ的ではあるが事件の周辺にかかわっていた人物が、後になって事件の真相に疑問をもって再調査する....という構図になっているわけだね。著者は自身がかつて所属していた士官学校の生徒や上官、それに宮城事件に直接かかわった生き残りの参加者などに直接会って調査していく。
著者は戦後、士官学校時代の知友とはまったく没交渉でいたのだが、かつての軍人たちも戦後はさまざまな経歴を経てそれなりの地位を築いている。そういうギャップ(出版は1982年でまだ従軍経験者の多くが健在)と、しかしかつての上司と会うとなるとつい身に出てしまう軍隊時代の身体的な訓練の結果に違和感を覚えつつ、調査を続けていく心情が丁寧に描かれていく。
この調査を通じ、浮き彫りにされる上原大尉の肖像と、追い詰められた異常な時代の状況が迫力をもって伝わってくる。かつての同僚や上司の多くも極めて協力的で、やはりこの背景には「不条理にも若くして死ななければならなかった多くの人々の死には何の意味があったのか?」という世代的な共通の疑問と、死者たちへの鎮魂の思いがある。しかし、前述の生き延びた少佐は真相の回答を拒み続けるために、著者は十分なまでに真相を解明したうえで、元少佐と対決することになる...よくミステリだとあてずっぽうに近いようなかたちでも真相を指摘すると、犯人が恐れ入って告白しちゃったりするわけだが、ヨノナカそんなに甘いことはなくて、他人に正しく質問するためには十分な調査による真相の洞察が必要なわけだよ。ここらへんの機微について評者はクリスティの「象は忘れない」あたりを連想するな。
まあ真相はミステリとしてはそう意外なものではないのだが、それでも調査についての説得力が、著者個人の心情から非常に強いものとなっていて、リアルで説得力のある、地に足のついた歴史ミステリとして上出来のものになっている。

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