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平均点: 5.71点 書評数: 7件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.3 5点 伝説の里- 宮野村子 2024/10/01 17:24
【あらすじ】
(この小説は登場人物が抱える諸事情が徐々に解っていく展開になっています。詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください)

若くして寡婦となった田上真也子は由美子という幼子を抱え、家計の足しに自宅の二階に二人の独身男性を下宿させることにした。ひとりは週間雑誌記者の泉京太。もうひとりは藤山文夫。藤山文夫は勤めのかたわら投稿した小説が文芸雑誌に認められ、新進作家として今後が期待されていた。白皙の美青年である文夫に真也子は既に心身を委ねていたが、文夫の姉菊代から親展で送られてきた手紙を盗み読み、文夫が近く故郷の素封家春元家の娘、嫩葉(わかば)と結婚することを知って、彼を問い詰める。その冷酷な態度に逆上した真也子は文夫と揉み合いになるが、結果殺害されてしまう。その現場を偶然帰宅した泉京太に発見されるが、文夫は悪びれもせず、結婚した際に自由になる財産のもとに取引を持ちかける。由美子まで冷然と手にかける文夫に京太は、文夫の誘いに乗ったふりをして、自らの手でこの男の野望を打ち砕くことを決意する。
文夫の故郷N県砂川村は緑が美しい村であるが、戦後の農地改革を経た後も大地主春元家は大いに権勢を誇り、その邸宅は庭にひときわ大きく咲く花にちなんで菖蒲屋敷と呼ばれている。当主利光は既に事故で命を落としており、その妹であるまどかが女関白と言われながらも一家を支えていた。藤川菊代は小作農の出で、もとは春元家の小間使いであったが、利光の慰みものになった挙句、過去放逐されていた。その弟である文夫が春元家に婿入りするという。嫩葉が文夫の美貌の虜になっているとはいえ、誇り高いまどかが何故そのようなことを許すのか?菊代は春元家に対し有無を言わせぬ弱みを握っているらしい。春元家の分家の娘であり、嫩葉の従妹である春元木の芽はこの縁談を阻止しようと画策する。
嫩葉と文夫の婚礼は邸内の花が盛りの菖蒲祭りの後と決まった。文夫は京太を婚礼に招待する。菊代と文夫の罠が待ち構えていることを承知のうえ、京太は砂川村に向かう。京太を姉のように愛し、その行動に協力する静岡広枝。菊枝が経営する旅館付の酌婦であるが、広枝と奇妙な友情を結ぶ冬子。文夫と京太の動きを察知し、監視する高津刑事。文夫と利害を共にする不動産屋吉川政造。奔放で人を喰った言動をとりつつ、古来より溜まった春元家の澱にけりをつけようとする木の芽。役者は全て砂川村に揃った。婚礼を前にして、それぞれの思惑はどのように進むか?春元家そしてまどかは何故菊代、文夫姉弟のいいなりとなるのか?春元家を深く恨む菊代の野望は成就するのか?旧家の恩讐に流される人々、抗う人々の運命は?

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

上下巻、1000枚近くの大作です。前作『血』は良くも悪くも作者の個性が全面に押し出されており、読み進めていく上で相応の体力を要する作品でしたが、『伝説の里』については、登場人物の心理ではなく、会話文を中心にストーリーの展開を追うような体裁になっており、格段に読みやすくなっています。とはいえそれが良い結果に至っているかは疑問で、『鯉沼家の悲劇』『血』で発揮されていた、女流文学者にしか描き得ない(といえばずいぶん語弊があるが)、濃厚かつ底意地の悪い世界観が薄れており、そこが評価の分かれるところだと思います。『流浪の瞳』を読んだ際にも感じましたが、登場人物が動き回るような作風はどうしても作り物めいた無理が出てしまい、せっかくの良い素材がうまく活かせていないように感じました。やはり作者は一つの世界にじっくりと取り組んだ作品のほうが、魅力があります。
『流浪の瞳』と同じように、素材は悪くないです。虐げられたものの意地がやがて執念となり、やがて自身や周りを追い込んでいく、という筋書きは常套なので、一族に復讐を企てる菊代を中心にストーリーを描き込んでいけば、相当に迫力のある作品になったと思われます。復讐の対象になる春元家の人たちも、現存している人たちは、「女関白」といわれるまどか含め、旧家ゆえの驕りは多少ありますが、悪辣には描かれておらず、基本的には筋の通った常識人ばかりであり、復讐を企てる菊代姉弟とのギャップを通してその空虚さを描く、など面白くなりそうな要素はたくさんあります。事実、菊代の視点でストーリーが進行する場面や木の芽と菊代との駆け引きなどは面白いのです。やはり問題は、作者の資質にあわない展開を、ストーリーの都合に合わせて強引に行っているところだと思われます。

(以下物語の前半4分の1までのネタバレします)
まずこの事件の「解明」を積極的に行う泉京太の造形です。彼がこの事件を通して行う選択や行動に全く共感することが出来ません。彼は文夫が未亡人真也子、その子供由美子を殺しているのを目の前で把握し、激しい義憤に駆られながらも、積極的にその隠ぺい工作に加担します。その理由が「自分の手でこの悪党を糺したい」「特ダネが取れる」です。また、菊代、文夫姉弟が目的のためであれば殺人をも厭わぬことを充分に認識していながら、周辺の人たちを自分の調査に協力させ、結果として登場人物の一人はそのために殺されてしまいます。犯行を目撃した時点で警察に通報していれば、この長い物語で発生する悲劇は起こらないのです。作者も自覚していたのか、高津刑事にそのことを京太に指摘させますが、「あ~そうだね」程度にしか彼は認識していません。サスペンス系のミステリやハリウッド映画やザ・松田にありがちな「面白けりゃ細け~ことはいいんだよ」のパターンですが、そういう矛盾を回避するために周到な手間と努力を投入している作家もいることを考えると、やはり上等とは言い難いと思われます。京太に協力する静岡広枝の関係性や心情もイマイチ良く把握できません。物語のボリュームに比して書き込み不足です。

(以下出来るだけネタバレに配慮した記述に戻します)
このように物語前半4分の1まではずいぶん乱暴な展開をしますが(読書を断念しようかと迷ったくらい)、舞台が砂川村に移って、物語の進行に菊代の視点が入るようになってきてからはかなり持ち直します。特に菊代の執念は良く描き込まれています。文夫の造形についてもあえて踏み込まず、そのサイコパスぶりを客観的に描いているところも良いです。前述の通り、木の芽との駆け引きの場面などは面白いので、軽薄で饒舌な京太などは登場させず、菊代姉弟のキャラをもっと前面に出して、春元家との確執や駆け引きをじっくりしっとり描き込み、「伝説」の里のローカル要素をもっと引き立ててれば佳作になった要素はあると思います。
出版社の意向もあったのかもしれませんが、一般読者を取り込もうと作者が努力した箇所が裏目に出ているのではないかと思われる作品でした。時代を考えると、ボリューム的にも内容的にも作者は相当の苦心をしたとは思われますが、『鯉沼』『血』には遠く及ばず、『流浪の瞳』のようにロマンティックな要素もない、ということで、少し評点は辛めになってしまいました。ぜひ実際に読んで確認してみてください。

No.2 7点 - 宮野村子 2024/09/21 08:13
【あらすじ】
(この小説は登場人物が抱える諸事情が徐々に明らかになっていく展開になっています。詳しくストーリーを説明すると台無しになってしまうので、今後の読書の興を削がない程度の内容しか紹介していません。それでも嫌な人は注意してください)

地方の豪族水戸橋家の末裔、宮子はある事情のもと、故郷である緑ヶ島を離れ、十数年間、華族としての庇護を受けぬ放浪的生活を送ってきた。ただ緑ヶ島への郷愁は深く、宮子にとってそのつながりは骨肉のようなものであった。拠り所のない暮しに疲れた宮子は人の勧めもあり、美しい緑ヶ島に帰郷することになった。
水戸橋家の所有地の一つである緑ヶ島は後方を深い山、三方を川に囲まれた大きな洲のような土地である。その中に西洋の古城を模した尖塔のある建物があり、近くに住む者に「緑ヶ島のお城」と呼ばれていた。それは絵本に描かれた西洋の城を欲しがった宮子に、数寄者の亡父が建ててやったものであり、いにしえの伝説を秘めた姫沼や城山を含めた島全体が宮子のために贈られたものであった。幼女時代から少女時代を宮子はこの島で驕った王女のように過ごしたのである。
宮子には秀子という姉がおり、侯爵家である大鳥信弘のもとに嫁していたが、信弘の漁色癖を紛わせるため、東京の本邸から娘の纓子(えいこ)とともに城へ仮寓していた。宮子が城を去る時、島を幼児である纓子に託してきたが、戦争をはさんで宮子が帰郷した時も、信弘の漁色癖は止んでおらず、近隣村内の女房と出奔しており、行方は杳として掴めぬ状況であった。
宮子を迎えたのは二十歳になった纓子であり、城には纓子の歳の離れた弟朝彦、戦災を逃れるため仮寓していたが、静かな島の環境を気に入りそのまま居付いている大島家の当主功光が住んでいた。秀子は信弘の放蕩のためか、薬を飲んで自死していることを宮子は聞かされる。
当主功光には信弘のほかに妾腹の真一郎という息子がおり、幼少期から真一郎となじみの宮子とは自他ともに結ばれる雰囲気が出来上がっていたのだが、彼と離れ、そしてまた再開したのちの真一郎は相変わらず洒脱で世慣れており、頼りがいがありながらまた酷薄でもあった。真一郎は漁色に憑り付かれた信弘は、「女を愛する芸術家」である一方「飢えた猛獣」でもあり、それは「考えすぎる」大鳥家の血のなせる業であるという。そして宮子や纓子も、その育った環境ゆえ「何かが掛けている一種の片輪者」であり、ゆえに愛しい存在であるとも言った。真一郎らしいシニカルな指摘に宮子は反発を覚えつつ、全てを捨てて出奔した過去の自分や、奔放で気まぐれ、途方もなく優しくもありながら残酷な一面を持ち、さらに奥深い懊悩を抱えている纓子の気質に、「血」の宿命を感じざるを得ないのであった。
信弘の失踪、そして纓子が引き取って面倒を見ている盲目の戦傷帰還兵、高柳司郎の見舞を口実に、緑ヶ島に観光的価値を見出した二人の事業者が大鳥家に出入りを始めたころから緑ヶ島と宮子、そして大鳥家の周辺に不穏な気配が漂い始める。
月を呼ぶ山窩の少年太郎、そして彼に従う山犬次郎。面従腹背・慇懃無礼に主家を脅かす家政婦杉村菊代。信弘のために顔全面に火傷を負った石上正枝。一癖も二癖もある登場人物。彼らが抱える秘密や陰謀。城に殉じた若い女城主の伝説を持つ城山。白鳥が守る姫沼。鷲や熊が人の出入りを拒む鷲の巣山。美しくも閉ざされた緑ヶ島のもと、宮子は血の宿命、そして命とは何かを模索する。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

上下二巻、おおよそ1000枚近くの大長編です。前著『鯉沼家の悲劇』『流浪の瞳』は(当時としては)良作でしたが、いかんせんその構想や物語のスケールに対し書き込み不足の感が拭えず、私自身はそれが宮野村子の作家的技量の限界なのかなと思っていました。いわゆる詰めが甘いというやつですね。
ただ、「本格/変格」というミステリフォームや「懸賞応募作」という枷から逃れ、充分な枚数のもと、作者の思いのままその物語世界を展開しているこの小説は、もともと短編でほの見せていた作者本来の実力を見せつけてくれる作品でした。作者はこの作品に自らの理想とする小説作法のすべてを投入し、身を削るようにして書き上げたのではないでしょうか?
とはいえ結果として、それが万人に受け入れられる作品になったかといえば、それははなはだ疑問です。後述しますが、この作品はかなり読み手を選びます。
美しい風景にたたずむ城。運命により城に導かれた若い女主人公。高貴な人々とその優雅な生活。一族の過去の秘密。女主人公を脅かす謎の数々。意地悪と策略で女主人公を陥れようとする家政婦。クライマックスでの自然災害……。この作品のなかにデュ・モーリア、ビクトリア・ホルト、そして近年のケイト・モートンにつながる「20世紀以降の女流ゴシックロマン」の典型を見ることは可能です。「20世紀以降の女流ゴシックロマン」はやはり現代の読者が相手なので、主人公を怯えさせる謎や怪奇現象はすべて合理的に「現実に落と」されますが、その骨法も同じです。ただ、読んだ印象はそれらの作品とはちょっと違う。いや、大きく違います。
まずはストーリーテリングです。イギリスの女流作家たちの作品は、巻措くに能わずの言葉通り、濃厚な物語的興味で読者を煽りますが、作者はどうもそっちの方向にはあまり興味がないようです。無論ミステリ作家ですから、謎や不穏な動きをする登場人物などの展開はあるわけですが、この物語のほとんどは女主人公宮子の心理描写に費やされます。例えば宮子と別の登場人物が会話をしているとして、会話文1センテンスに対して宮子の心の動き、感情、思いなどが10~30行、次の会話文1センテンスに対しまた10~30行の心理描写というふうに、まさに微に入り細を穿ち宮子の心情が描写されます。『レベッカ』の女主人公もやや妄想気味でしたが、それどころじゃないです。それに対して、人が死ぬとか諍いが起こる、などといった動的なストーリー展開はごくごくあっさりと進行します。
また同じくイギリスの女流作家の作品には、女主人公の成長という、一種教養小説的な側面が多少なりともありますが、この小説の主人公宮子は初回登場時からほぼフラットに意識の転換=成長というものを起こしません。確かに一族の「血」がもたらす宿命や、相次ぐ死によって「命」とは何かを考えますが、それらは飽くまで華族として特殊な環境に生まれ育った知見に基づくものであり、そのスタンスはラストに至るまで、清々しいほど一切変わることはありません。
とはいえ作者もそのことは十分承知の上であったと思われます。登場人物たちの発想や懊悩は一般常識とはかなり掛け外れており、自己以外を一切顧みない、それゆえ純粋な、「閉ざされた枠」の中でのみ成立する物語世界を構成するために、このシチュエーションが必要であったのではないかと思われます。戦前に既に『レベッカ』は翻訳されています。作者が読んでいたかはわかりませんが、作者が意識してこれに「寄せた」とは思えません。自分が書きたい題材で、自分が魅力的と思う登場人物を活かした物語設定をした結果として、ゴシックロマンに近い体裁に到ったのではないでしょうか?二階堂黎人が卓見を述べているように、『鯉沼家の悲劇』で自分の書きたいものを書いたら、いつの間にかそれは巨匠の「本格探偵小説」のフォームを先取りしていた、と言う事と同じです。
このように書くと、独りよがりな小説のように思われるかもしれませんが、登場人物の出し入れやその事情、成り行きの背景などはゆったりと、それでいて巧みに語られていきます。探偵小説っぽい過剰な表現もなく、まさに大人の筆致です。リーダビリティは低くありません。但しその作品世界を許容することが出来れば、の話ですが……。
物語は宮子、その姪の纓子、大鳥真一郎を中心に展開しますが、先にも書いたように彼らはハイソな出自の方々ゆえ、異質の行動や思索を行います。純粋ではあるがその発想のもとは極端な選民意識に基づいており、自分の許容するものに対してはひたすら慈愛を示しますが、スノッブな成り上がりものや意に添わぬものには残酷で、意地悪です。彼らを操っては嘲笑い、虫けらのように捻り潰すことに良心の呵責すら覚えません。つまり登場人物に感情移入して読み進めていくようなタイプの小説ではなく、それも作者は承知の上だと思います。宿命の「血」ゆえ、登場人物たちは狭い世界で自らのプライドやエゴ、体面などに縛られ、追い詰められ、やがて破滅していきます。一族の崩壊は前作でも見られた趣向ですが、今回のテーマはさらにそれを極めており、作者はそれを描きたかったのではないかと思われます。
登場人物に感情移入できないと書きましたが、宮子の姉秀子の造形は見事です。華族の子女としてひたすら貞淑で、運命を抗わず受け入れると思われていた人が、「愛を信じられないゆえに愛のために死ぬ」「凶暴なまでのエゴイスト」であり(う~ん、訳わからん)、そのパッションに宮子は自らの「血」を強く意識します。
また大鳥真一郎の複雑でシニカルな造形も非常にうまく描けています。おそらく作者の男性に対する理想像を全力で投影したのではないでしょうか?本作は恋愛小説的な側面を持ち、宮子の行動原理のほとんどは「血」のなせるゆえの迷いと懊悩によるものですが、果たして彼女がどのような生き方を選択するかは、物語を読んでください。前述の通り、彼女は成長することはありませんが、悪くない終わり方だと思います。
ミステリはつくづく懐の深いジャンルだと思います。このように浮世離れした物語世界を受け入れられるのは、ミステリという体裁があってこそだと思います(ハーレクインやライトノベルというジャンルの小説を私は読んだことが無いのであえてここでは言及しません)。宮野村子渾身の世界観をぜひ堪能していただきたいです。

No.1 6点 流浪の瞳- 宮野村子 2024/09/04 13:26
【あらすじ】
(できるだけ今後の読書の興を削がないように要約したつもりですが、嫌な人は注意してください)

舞台は昭和18年7月の大連。古くからこの地で病院を営む鈴村家は主を亡くし、御後室様と呼ばれる祖母なつと今は新京の医科大学に通う孫の健、真奈だけとなってしまった。なつは健が一人前の医者になるまで病院を閉めるつもりでいたが、戦局が悪化する事態に至り、近縁の医師である小島信也とその妻加津子を内地から呼び寄せ、病院を再開させている。
満鉄理事の娘である真奈の友人大橋花江は奔放な性格で、その立場を利用して勤労奉仕逃れのために所属している図書館でも勝手気ままに振舞っていた。花江に好意を寄せる同僚の真鍋達夫は花江が定期的に電話連絡している内容に不審を抱き、過去つれなくされた腹いせにその行動を追い始める。真鍋の監視を知らない花江と真奈は白系露人が経営するロシア料理店で落ち合うが、そこで真奈は花江の外貌や立場にそぐわぬ、ある強い意志を感じ取る。それは思想や戦況によるものではなく、健に対する熱い想いから来るものであった。花江と別れた真奈は帰途、白夜に照らされる丘で刺されて傷を負った白系露人の青年を発見する。しかし急いで病院に戻り、信也を連れ戻ったとき、その青年は消え失せていた。解せぬまま夜を明かした真奈は、同じ場所同じ状況でその青年の死体が発見されたことを知らされる。そのことを皮切りに真奈の周辺では幾多の不可解な死が発生し、真奈は兵役志願する前に一時帰郷した健とともにその謎を追い始める。そこには事件現場に必ず居合わせる、ボローニア(屑拾い)や満人に扮した手の甲に傷痕のある男や、蒋介石と敵対する満州の要人などを取り巻く根深い闇が…。
一方鈴村病院ではある邪悪な意思のもと、一家を破滅させるための謀略が進み始めていた・・・。

【感想】
(出来るだけ配慮していますが、ネタバレが嫌な人は注意してください)

日本統治下にある夏の満州(大連)を舞台に戦時下および政治的転換期に生きる人々を描いたミステリです。鮎川哲也『黒いトランク』藤雪夫『獅子座』鷲尾三郎『酒蔵に棲む狐(屍の記録)』と講談社「書下し長編探偵小説全集」13番目の椅子を争った作品として知られていますが、男性陣の作品がガチガチのパズラーであるのに比べ、本作品はサスペンスに属するもので、謎自体は淡く、そこに重点を置いていないのは最初から作者の意図するところだと思います。『黒いトランク』『獅子座(というよりもその原型の『星の燃える海』)はいかにも男性的で武骨なロマンティシズムの要素を持ち合わせていましたが、撃たれた被害者が倒れるときに舞うマーガレットや不審者が去るときに残されていた赤い蔓薔薇、ツンデレながらも一途なキャラ造形など女性らしい配慮にあふれた雰囲気作りは、小説的技巧という意味では一歩優れているように思われます。ただこれはあくまで2作と比べた印象。基本的には作者の筆致、ストーリーの運びは古く、特にサイコパスを扱ったサイドストーリとメインの筋立ては乖離してしまっており、ギクシャクした感は否めません。
ただ、素材はすごく良いです。祖国を追われた人、祖国を持たぬ人、祖国のために大切な人を奪われなければならない人、悲しい想いをもつ人々が抱いた大きな夢。そしてそれら夢を追う人たちを喰い物にする邪悪な存在。メインタイトルを担う白系露人の哀しい運命、アカシアの大連の白夜の丘などロマンティックな道具立ても揃っています。ただ枚数的制限や作者の筆力、作家的視野の狭量さの問題もあり、現代のエンタテイメントを読みなれた私たちにとって、いかにもその扱いは淡白。松本清張『球形の荒野(この小説もミステリとしては破綻している部分がありますが)』のように雄大な形でこの物語が描かれたなら、と夢想します。死体や凶器がピューンと飛んでいくような『本格ミステリ』が好きな人や、トリックがないと納得できない人には向かないかも知れませんが、地に足が付いたミステリを書こうとした作者の意気を汲める人には、いまでも読む価値はあると思います。

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