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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2046件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.66 5点 灯火管制- アントニー・ギルバート 2016/08/24 01:34
(ネタバレなし)
 筆者はアントニー・ギルバートは本書が初読。ポケミスの『黒い死』も買ってあって未読だったが、さあどっちから読もうと思って調べると、本書の方が原書は先の刊行ゆえ、こっちから手をつけた。
 噂のクルック弁護士のキャラクターは、英国の紳士探偵の系譜の主流から外れた? アクの強い人物。本書では別の登場人物とその場にいない者の陰口を言い合い、ドイツ軍の空襲であいつが死ななかったのはヒットラーの失敗だ、という主旨の諧謔まで口にする(唖然)。さらには眼前の耄碌した老人の要領を得ない対応にじれったさを感じ、内心で「精神異常者の安楽死を主張する進歩論者に共感を覚え」たりする(呆然)。今の時代なら、たぶん新作小説として問題ある叙述だろ、これ(笑)。
 
 肝心のお話の方は、戦禍の進展を背景にした、クルックの知人の失踪騒ぎ、その流れで起きた殺人事件、ある人物にかかわる謎の金の動き…などの要素を好テンポで語り継ぎ、それなりのリーダビリティで楽しめる。ただし終盤の反転劇と同時に明かされる意外な犯人の逮捕図はミスディレクションが見え見えでいま一つ…なような(汗)。最後の最後のクルックの子細な謎解きは、なかなか唸らされたんだけどね。
 
 ところで訳者あとがきによると、ギルバートはクルックのシリーズ以前に政治家スコット・エジャートンなる人物をレギュラー探偵役にした十冊ほどのミステリを書いており、やがて自作のレギュラー探偵の座をクルックに刷新したらしいが、本書のエピローグ的な部分でクルックと別の登場人物との会話の中でその「友人スコット・エジャートン」の名が出てくる(304ページ)。もちろん現時点の筆者には、何の縁も面識もないキャラクターだが、ギルバートの新旧の主役探偵の世界観が繋がっているという構造そのものが、なんとなくほほえましい。カーの『死時計』のラストで、バンコランのことを話題にするフェル博士みたいだ。

No.65 5点 倒叙の四季 破られたトリック- 深水黎一郎 2016/08/21 15:50
(ネタバレなし)
 書名通りの倒叙もの4本を集めて、全体にもある種の仕掛けを凝らした連作中編集。私事ながらここしばらく忙しくて長編が読めないので、就眠前に少しずつ読み進めていた一冊。ちなみに深水作品はまだそんなに読んでないので、これがシリーズ探偵ものの路線の枠内の作品とは終盤まで気がつかなかった(汗)。

 内容は、クロフツの『殺人者はへまをする』『クロフツ短編集』みたいなものを21世紀の国産の中編ミステリで書いたらまんまこうなるんじゃないかしら、という感じで手堅く楽しめた。正統派の倒叙ものの興味に加えて、密室をどのように作ったかのハウダニットがキモとなる第4話が一番読み応えあるかな。
 ただしこの連作の設定の核となる裏ファイル「完全犯罪完全指南」についての決着は、最後で小味にまとめちゃった感じ。
 深水作品ビギナーとしては、作者の振り幅を実感できた一冊でした。きっともっとこれからも、新刊既刊ふくめていろいろと楽しませてくれるんだろうけど。

No.64 5点 ブッポウソウは忘れない- 鳥飼否宇 2016/08/17 13:10
(ネタバレなし)
 著者の作品を読むのはこれでまだ4~5冊目だが、こういう衒いのないタイプの連作ミステリも書けるのか、と軽く驚かされた感じ。
 ミステリとしての妙味は、kanamoriさんのご講評ですでに的確に語られているので特に大きく付け足すことはない。
 第4話のキーワードの部分の伏線は難しくなかったが、意外に広がっていった事件の流れを最後まで先読みするのはちょっとタイヘンだった。あと同じ第4話の前半で、普通ならいちいち名前まで書かないであろうある脇役までしっかり名を設定してあったのは意図的なミスディレクションだったのだろうか。
 続編はもう数冊書ける感じだから、シリーズ化してほしい。××××にもなりそうな、主人公の青春模様の方もちょっと気になるし。

No.63 6点 夜の人- ベルンハルト・ボルゲ 2016/08/16 03:57
(ネタバレなし)
 1941年のノルウェー作品。翻訳書(ポケミス=「世界ミステリシリーズ」)は半世紀以上前の旧刊ながら、なぜかこの1~2年、本サイトをふくめて時たまweb上での高評を目にする機会のあった一冊。
 次第に気になってきたのでこのたび読んでみたが、確かに面白かった。限定された舞台(金持ちの別荘)の中で起きた伊達男が被害者の殺人事件、その後に続く登場人物たちのやりとりの中で生じる微妙な人間模様の機微(主人公の恋愛ドラマをふくむ)、探偵役である精神分析医カイ・ブッゲの適度にエキセントリックな言動、そのブッゲと対になる捜査官ハンマー警部の生真面目なキャラクター…と、ミステリ小説としてソツの無いパーツを十全に組み合わせ、その一方で全体のページ数も少ない(訳者のあとがき~実質上の解説、をふくめて全176ページ)ため、ハイテンポであっという間に読めてしまう。

 全編に伏線や手掛かりは相応に張られているが、最後の探偵役の説明は専門的な心理学にも拠るため、普通の読み方ではフーダニットとしての正解は難しいだろう。ただし終盤、殺人者の正体が判明するあたりのスリルとサスペンスは該当シーンのビジュアルイメージも含めて実に強烈で、個人的には子供時代に学校の図書館から借りて読んだウールリッチの『自殺ホテルの怪』(1970年・偕成社~『913号室の謎』の児童書版)で真犯人がついに判明する時の衝撃と緊張感を思い出した。
 事件の真相判明の騒乱劇を経てしみじみと語られるクロージングの余韻もなかなかで、いやこれは読んで良かった一冊。nukkamさんのおっしゃるようにブッゲシリーズの続編も、今からでも翻訳紹介してほしい。主人公(語り手)である作者の分身? ベルンハルト・ボルゲのその後も気になるし。
 
 ところで、118ページ目でボルゲが読んでいたクリスティーの『誰がルイズに手紙を書いたか』というのは、実在する彼女の作品で、実際に刊行されたノルウェー語版のタイトルなんでしょうか? それなりにクリスティーは読んでいるのだが、さすがにこの題名と「ルイズ」という固有名詞だけでは、該当作品が思い当たらない。どなたかお心当たりのある方は、本サイトの掲示板などでご教示願えますと幸いです。

※追記(2016年8月16日10時)…蟷螂の斧さんから早速、情報のご教示を戴きました。『メソポタミヤの殺人』(原題:Murder in Mesopotamia)だそうです。ありがとうございました。

No.62 6点 アムステルダム運河殺人事件- 松本清張 2016/08/03 12:00
(ネタバレなし)
『アムステルダム運河殺人事件』(長めの中編~短めの長編)と『セント・アンドリュースの事件』(短め~普通の長さの中編)の二本を収録。海外を舞台にした邦人の殺人事件ものというくくりで、二作品を一冊にまとめている。

 表題作は、現実に起きたバラバラ殺人事件に立脚したロジカルな謎解きパズラー。実話を題材にした前提の分だけ、社会派的な要素も骨太な人間ドラマも抜きにガチガチのパズラーに向き合えるという清張のワクワク感が窺えるようで微笑ましい。
 死体の身元を隠すために頭部や手首を切断したなら、なぜその一方で当人に関連した遺留物をいっしょに残しておいたのか? という謎の設定はなかなか魅力的。なお小説として語られるその真相は説得力はあるものの、前述の謎の解明としてはちょっとだけ肩透かしなのは残念。なんでバラバラにしたか? という理由づけ自体は、なるほどひとつの創意だろうが。
 しかしこの事件、たしかに謎解きミステリとしての解法はほかにもありそうな感じで、だからこそ有栖川作品や2016年の新作『アムステルダムの詭計』(原進一)などの後続作が登場しているわけである。そのうちそれらも読んでみよう。

『セント・アンドリュースの事件』の方は、清張には珍しく? ××トリックが用いられており、その方向でトリッキィな一編。
 大ネタは途中で気づくが、細部まで全部先読みすることはちょっと難しいかもしれない。ただし探偵役が語る事件の真相のなかで、被害者が殺害される場面をイメージするといささか間抜け。その状況で注意を払わなかったのは、アンタの方も悪いだろ、と思えたぞ(笑)。

No.61 6点 ドクトル・マブゼ- ノルベルト・ジャック 2016/08/02 07:29
(ネタバレなし)
 第一次大戦後のドイツでは、疲弊した国民の魂を癒し、そして堕落させる、賭博という背徳の文化が蔓延していた。そんななか、とある賭博場で遊民エドガー・フルが大敗するが、彼を負かせた相手には変幻する容貌など、数々の不審な点があった。フルの友人カルスティスから情報を得た40歳前後の検察官ヴェンクは、隠密捜査に乗り出す。それこそがヴェンクと、欧州各地で暗躍する犯罪王マブゼとの長い戦いの幕開けでもあった!

 1921年にドイツで刊行され、翌年のフリッツ・ラングの映画版のヒットもあってこの分野ではすでに名作として殿堂入りした、大犯罪者もののスリラー。ちなみにポケミス巻頭に記された原書刊行年は1921~22年と2年に跨っているが、その辺の事情は解説を読んでもよくわからない。映画の公開に合わせて内容が一部改訂でもされて、それゆえのややこしい表記だろうか?

 マブゼのキャラクターを記すと、年齢は60歳前後。ただし変装は自由自在で、外見上の年齢はほぼ不詳。体力は若々しく頭脳も明晰で、殺人やテロなど種々の犯罪に関わるが、最大の資金源は、その家族まで入れれば構成員4000人に及ぶシンジケートを活用した密輸。賭博で緊張感を満喫しながら財産を増やすのも好き。当人は精神分析医としても優秀で、催眠術で人心を操り、自殺に追い込むことも可能。ブラジルの原始林の中に理想郷「マイトポマル王国」の建国を夢想し、資金はそのためにも貯められる。当人の性格は冷徹で酷薄なれどときに激情家。作中では美貌のヒロイン・トルド伯爵夫人に心を奪われるが、同時にそれが自分の弱点になると冷静に考え、排除を検討する描写もある。自らを「人狼」とも「魔王」とも呼ぶ自意識の高さ。
 …日本の犯罪者キャラクターでいえば、①その変装の変幻ぶり②地に足がついた犯罪組織網の構築③内に秘めた残忍性を自らの殺戮行為で解消…など、小林信彦のオヨヨ大統領がもっとも近い。ラングの映画を経た影響が小林信彦にあったのか、たまたま悪役の造形がほぼ同じ着地点になったのかはよくわからないが。
 
 それでかんじんのお話の方は90年以上前の旧作ながら、実にハイテンションな怪人対名探偵ものの秀作スリラー。
 マブゼに挑むもうひとりの主人公ヴェンクの方も丁寧にキャラクターが描きこまれており、公的な捜査機関の十全な活用はもちろん、マブゼの犠牲者の遺族である資産家に応援を頼み、大枚の金を使って捕り物作戦を展開するあたり、彼のなりふりかまわぬ闘志を実感させる。ドイツ国内の刑務所に収監される全犯罪者をすべて解放してもあの宿敵ひとりを捕まえたい! と語るその内面描写も熱くていい。さらにそんなヴェンク自身が終盤で彼自身とマブゼとを相対化し、これは正義と悪の戦いではない、違う種類の人間と人間との能力の拮抗なのだという主旨の文句を語るのも、この作品の本質を端的に打ち出している。
 そんな2人の主人公の起伏に富んだ戦いのシーソーゲームは最後の最後まで気が置けず、いやこれはなかなか楽しい一冊であった(クライマックスは小説独自のもので映像化はされなかったようだが、ここもまた非常に映画的)。

 なお前述のとおり本書は1921年の刊行、第一次大戦後の時制の物語だが、その精神的な背景には国民みんな頑張ろう、的な教条的な意識も込められている。
 その辺は、今後マブゼの組織が壊滅した際には多数の元犯罪者が生じるので、彼らの社会的更生を前向きに画策。そのために資産家の老富豪に財政的な支援を求め、相手の快諾と感嘆を得るヴェンクの言動などからもうかがえる。
 そしてもちろんそれ自体は作中のヴェンクの非常に健やかな言葉であり思惟だったが、現実の次の世界大戦に至る歴史の中でドイツがどういう道を歩んだかを考えると、複雑な思いにも駆られてならない。

No.60 6点 疑惑の夜- 飛鳥高 2016/07/31 15:13
(ネタバレなし)
 『細い赤い糸』以上に和製ウールリッチっぽい感触で、雰囲気といいリズミカルなサスペンス描写といいとても良い。クライムサスペンススリラーの中に不可能犯罪の興味を組み合わせた構成もなかなかツボを突いている。
 ただし難点は、文書が生硬すぎることで、特に序盤の部分、具体的には、2つ続くセンテンスの中に同じ言葉を多用する例などが頻繁すぎる。商業作品としては、編集者の指導も含めてもっと推敲したものを上梓すべきだ。作者が専業作家ではない、短編デビューののち、ひととき創作から離れていた期間もあった、などの事情は斟酌するにしても。
 とはいえ話が中盤に来て、もうひとりの主人公のヒロインが登場してからは、そんなに文章の固さは気にならなくなる。最後のどんでん返しも鮮烈で、これは読んでおいて損はないね。
 なお、いかにも同時代に白黒映画とか作られそうな内容だなぁと思いながら楽しんでいたら、本当に東映で、高倉健、佐久間良子の主演で映画化されていたらしい。そのうちCS経由とかで観てみたいものである。

No.59 5点 完全主義者- レイン・カウフマン 2016/07/29 16:55
(ネタバレなし)
 ニューヨーク周辺の高級住宅地アルデン・パーク。43歳のマーチン・プライヤーは、仲間とブリッジに興じたり、知事だった祖父の評伝を綴ったりしながら、遊民的に日々を暮らす。そんな彼はおよそふた月前に、結婚6年目の倦怠期でしかも相当に固有の資産を持っていた妻グレースを交通事故死に見せかけて殺害した秘密があった。完全主義者を自認するマーチンは犯行を完璧に行い警察や周囲の眼も欺いた自信があったが、ある日、おまえの妻殺しを知っている、金を払えという匿名の脅迫状が届く。謎の脅迫者がパーク周辺に潜むと見当をつけたマーチンはその容疑者を友人知人の中から5人にまで絞るが、一方で彼はその対象者のひとり、美人の女流陶芸家サリイと惹かれ合っていく。

 1955年のアメリカ作品で、翌56年度のMWA新人賞受賞作品。
 この作品については、大昔(70年代)の「ミステリマガジン」の翻訳ミステリ月評ページで書評子(たしか瀬戸川氏)が<MWA賞受賞作イコール秀作とは限らない>という主旨の記述で例としてあげ、「あほらしいサスペンス」とか、けなしていたような記憶がある。ずっと長い間、その短評がなんとなく気になっていたが、家のなかでツンドクの本がたまたま見つかったのでこの機会に読んでみた。

 でもって一読後の感想はそんなに悪くはなく、水準的な面白さのクライムサスペンス。主人公マーチンを初めとしてアルデン・パークに暮らす住人たちはそれぞれくっきりとキャラクターが描き分けられており、そんな個性の絡み合いのなかでマーチンの反撃が企てられていく筋立ては、物語のベクトルとして実に明快だ。
 ただし問題はタイトルロールといえるマーチンの「完全主義者」ぶりが冒頭のグレースの殺害のとき以外ほとんど描かれていないことで、5人の脅迫者容疑者の中から真犯人を絞り込んでいく段取りもかなり思い込みがはげしい。まぁそんな一方でサリイにほれ込んでいきながら、同時になかなか彼女を容疑者の枠組みから外さないあたりは、マーチンのクレバーさを一応は最後まで保ったが。

 ちなみに作り方によっては「脅迫者捜し」という一種のフーダニットにもなりえた内容だが、作者はその辺は興味なかったのか、謎解きを進めるための事前の手掛かりや伏線などはほとんど用意されていない。容疑者が除外される直前にその事由がいきなり語られ、読者はそれに付き合う。この流れの繰り返しだ。
 話術が達者だから読み物としては楽しめるが、この設定からもしかすると…と、期待できるような広義のパズラーではなかったのがちょっと残念。
 ある種の文芸性を感じさせる物語のクロージングは、なかなか良かったね(ちょっと唐突感もあるけれど)。 

 最後に、本書は1955年の原書刊行のようだが、邦訳のポケミスでは裏表紙と解説でこの作品が1954年のものという主旨で記述。それだけなら編集者の人間臭い勘違いといえるが、巻頭の「日本版飜訳権所有」ページでも1954年のコピーライトと誤記してある。こういうことってあるんだな~。

【2021年5月8日追記】
 上記の瀬戸川氏? が悪評を書いたMWA新人賞受賞作品は本作ではなく、リチャード・マーティン・スターンの『恐怖への明るい道』だったような気もしてきた。このレベルのことは、ちゃんと確認してから書かなければいけない。カウフマンさん、ごめんなさい。

【2021年11月17日追記】
 先日、同人出版で、1970年代当時の瀬戸川氏の時評&レビューほかが一冊にまとめられて、そのなかの一つ「ミステリ診察室」(これは未訳の海外の新刊紹介)の、当該の文章にウン十年ぶりに再会できた(蔵書のミステリマガジンの該当号は、ついに発掘していない)。

 で、元の文章になんて書いてあったかというと、瀬戸川氏は『完全主義者』も『恐怖への明るい道』も、どちらともケナしていた、というオチだった(笑)。
 前者(本作『完全主義者』)は「出来そこないのサスペンス小説」、後者『恐怖への』は「アホらしいメロドラマ」だそうである。うーん、なんか『恐怖への明るい道』が読みたくなってきた(笑)。

No.58 4点 孤獨な娘- ケネス・フィアリング 2016/07/28 04:06
(ネタバレなし)
「音響界の鬼才」と称されるヴォーン電子工学の社主アドリアン・ヴォーン(68歳)が、家族とともに長らく住んでいた高級ホテル<エンヴォイ・ホテル>の30階から転落死した。アドリアンは、墜落しかけた自分の長男オリヴァ(40代)を救おうとしてしくじり、ともに事故死したのだった。後には二度の結婚歴があるが今は独身の長女エレン(31歳)と放蕩者の次男チャールズが遺された。だが2人には残された会社を運営する才覚はなく、しかも世間からは富豪と見做されていたヴォーン家も、実はヴォーン電子工学が提携する企業ナショナル・サウンドとの確執の中でほとんどの財産を失っていた。かろうじて自宅のホテルの居住権と今後の最低限の生活費のみ確保したかに思えたエレンだが、彼女にはまだ父から遺されたもうひとつの遺産があった。それは「ミッキー」。電子工学と音響の才に長けたアドリアンが組み立てた、自分の心と膨大なデータアーカイブを持ち、人間との会話も可能な「精神を持った機械」だった。

 1951年のアメリカ作品で、気になるツンドクの古書を消化しようと手に取った一冊。地味な題名からは想像もつかないSFチックな趣向(ミッキーの設定はズバリ黎明期のAIというかスパコン)を認めて「これは意外な掘り出し物かも」と思いながら読み進めたが、う~ん。結局のところ、何をやりたかったのかイマイチ。

 そもそも巻末の解説で乱歩も<これは自分が未読なうちに、編集部が「世界探偵小説全集」にセレクトしてしまった一冊。多忙で最後まで作品の現物は読めなかったが、「タイム」の評を読むと「探偵小説とは言いにくいように思われる」>という主旨の事を書いている。
 いや「探偵小説」じゃなくっても、広義の面白いミステリならこちらはいいのだが、登場人物の内面も筋立ても楽しみどころがわからない(メモを取りながら読み、ストーリーの流れそのものは理解したつもりだが)。

 まぁそれでも前半はなかなか面白く、エレンがホテルの自宅にホテルの善良な支配人クレーンを呼び出し、ヴォーン家の秘密だった「ミッキー」を初めて見せて驚かせる場面や、拳銃を握ってそのミッキーの生殺与奪の権利を実感するところなんか、かなりゾクゾクさせられた。しかし後半はそのミッキーの存在もキャラクターもすっかり希薄化してしまう(物語の上ではある形で活用されるのだが、とても設定を活かしきったとは言えない)。
 前述の「タイム」の評では<産業革命にまで遡る機械化文明の暗部>的なことが語られているみたいだけど、いや、それはあんまし関係ないのでは? という感じ。 むしろ世間との関わりに目を向けず、閉塞・没落していった上流家庭を見据えてその主題をエレンと「ミッキー」の関わりを通して描こうとした観念小説、ならまだ何となくわかる、というか。
 なお題名は、ミッキーがこっそり録音した陰口などを再生して聞いて、付き合っていた男性や父の仕事関係の人間の裏の顔を知っていくエレンの意味。それだけに後半に登場した男性ジェームズ・ケルの扱いが…これはムニャムニャ。
 
 翻訳はさすがにすさまじく古いが、まぁ訳者はミステリ関係の仕事も多い長谷川修二なので、我慢すればなんとか読める。
 むしろ雑に思えるのは当時の早川編集部の仕事の方で、人物紹介の一行目「エレン・ヴォーン/大ホテルの37階に一人で住む女」とあるが、本文を読むと実際は30階だし、父と兄の生前は家族4人で、現在も弟と住んでいる。さらに言えば表紙の女性はエレンのイメージなんだろうけど、ピンクの髪の毛が特徴で作中で何回も「ピンキー」と呼ばれてるヒロインなのに、黒髪で描かれている。勝呂画伯の絵そのものは例によって良い雰囲気だが、ちゃんと発注してほしいわ。

 ところで当時、誰がこれをポケミス(世界探偵小説全集)に入れたんだろ。やっぱ田中潤司か植草甚一あたりか? その意図や事情を知りたい。

No.57 6点 憑かれた死- J・B・オサリヴァン 2016/07/20 04:36
(ネタバレなし)
 その年の10月25日に自宅で射殺された「私」こと、地方紙の有名コラムニストであるピーター・パイパーは、その後も幽霊となって地上に留まっていた。ピーターは自分の魂が近く霊界に行くことになると予見しながら、自分を殺した殺人者が捕縛されるのを待つが、誰が実行犯かの確証はなく、一方で旧知のタルボット警部もまた真犯人を検挙していなかった。だがピーターの妻マリオンの愛人で、ラジオのDJフォウセットが最大の容疑者と目される流れになり、ピーターはその見解を納得する。一方、マリオンはフォウセットの無実を立証するため、亡き夫の友人でもあった私立探偵スティーヴ・シルクに調査を依頼。事件はまた思わぬ方向へ転がってゆく…。

 1953年のアメリカ作品。世代人には有名な(いろんな意味で)ミステリガイド本=藤原宰太郎の「世界の名探偵50人」の本記事の最後の項目で(50番目の名探偵として)同じ年に原書が刊行されたガイ・カリンフォードの『死後』とともに<最も異色の名探偵キャラクター=幽霊探偵>として紹介された作品。あの本(「世界の~」)で初めて本書の存在を知ったミステリファンも、多かったことのではないか(もちろん筆者もそのひとり)。まぁ21世紀の昨今では国内新本格の諸作もふくめて幽霊探偵なんて趣向はそれほど新鮮でもなくなったが、50年代当時はそれなりに虚を突いた発想だったのは異論ないだろう(C・B・ギルフォードの短編とかもあったけれど)。

 とはいえ巻末の都筑道夫の解説も参考にしながらここで説明すると、本書『憑かれた死』の本来の探偵役(レギュラー名探偵)は、殺害されて冒頭から幽霊となる文筆家ピーター・パイパーではなく、途中から登場する私立探偵スティーヴ・シルクの方であり、そしてこの本書こそシルクの長編デビュー作品だったという(商業作家としてはかなり若手のデビューだったらしいオサリヴァンは、ずいぶん以前からシルクを短編作品で活躍させていた。その後もシルクのシリーズは書き続けられた模様)。

 しかしそんな大事な自分のレギュラー探偵の本格的な長編デビュー作なんだから、最初はもっと普通のミステリで勝負して、人気が定着したのちの何冊目かでこういう変化球の作品を放ればいいじゃないかとも思うが、その辺は書き手それぞれというヤツか(考えてみればいきなり「最後の事件」や「最大の事件」でデビューした、先駆の名探偵だっていたわけだが)。

 というわけで物語は、そういった一種の複数主人公形式(ピーターが自在に空間を行き来しながら事件の流れを語り、かたやレギュラー探偵のシルクが現実世界で事件の調査を進める)で進行。さらには前述のタルボット警部や作品終盤に登場する辣腕弁護士ベネディクトも、それぞれの立場から事件の真相に迫っていく。
 しかし込み入った展開自体はよいが、これじゃあまり幽霊探偵(幽霊主人公)の意味はない? 普通に三人称でもいいじゃん!? と思っていると、実はその辺もちゃんと作者の計算のなかにあったようで、最後まで読むとなかなか巧妙な形でこの設定は活かされる(ちょっとだけツッコミたい部分もあるが)。
 異色の幽霊探偵(幽霊主人公)ミステリーとして、この形質に意味がある作りだったのは最後で実証されるわけだ。

 ちなみに本書の邦訳(ポケミス版)の刊行から半世紀以上、21世紀の現在までシリーズの異色編であるこの作品しか日本に紹介されていない私立探偵スティーヴ・シルクだが、都筑は彼をハードボイルド派名探偵の一人と認定。
 実際、現物を読んでみるとシルクのキャラクターは、かのマイケル・シェーンやポール・パイン、ジョニー・リデルあたりを連想させる、ほぼ正統派ハードボイルド系列の私立探偵である。本書のヒロイン格のマリオンやその妹ベティなどから思いを傾けられても絶妙な距離を保ち、終盤の事件の逆転劇にもきちんと貢献する。公的には私立探偵のライセンスを持ってない自由人ぶりも特色で、その割には遊民的な裕福さとは無縁で暮らしは質素。かつて女性関係で心に傷を負った過去もさりげなく語られる。幽霊となったピーターが覗き込んだ際、自宅在住のシルクが他人には見せられないわびしさに悶々とする図(ポケミス版の205ページ)なども妙に心に沁みる。もしかしたらオサリヴァンはずっと短編で活躍させてきた自分の大事な探偵キャラクターの意外な一面を長編デビュー編の中でそっと読者に語るため、もうひとりの主人公ピーターが幽霊でその私生活を、心象までを覗き込む、というアイデアを思いついた…ということはないだろうな…。たぶん。

 そんなわけで未訳のシルクシリーズのなかで面白そうな正統派の私立探偵ハードボイルドミステリでもあれば、今からでももう何冊か紹介してほしい。
 まぁあのケンドリックのダンカン・マクレーンだって再上陸した昨今だもんね、論創さんあたりに期待しておこう。

No.56 7点 彼の求める影- 木々高太郎 2016/07/18 04:42
(ネタバレなし)
 34歳の独身の大学教授・相生浅男は、病身の実父とまだ若く美しい継母から、ある日相談を乞われる。それは浅男と腹違いの18歳の妹・夏子のもとに来た縁談の件で、しかもその相手とは、かつて浅男がラテン語を教えた青年・柿岡初雄(25歳)だった。相生家の面々が見守る中、当初は夏子と初雄の交際は順調に進むと思えたが、やがて初雄の挙動に奇妙な影が宿る。それは初雄が数年前に死別した年上の恋人・芳川ひえいを今だ忘れられないためであり、さらにくだんの女性ひえいは、浅男にも夏子にとっても意外な間柄の人物だった。そして…。
 それから時が経ち、高名な精神医学者・大心地先生は、自分が教えるプラクチカント(実習学生)たちの前で、現実のある事件に基づいた己の見識を語り出す…。

 作者が昭和26年(1951年)に完成させた長編。いやとても面白かった。読者を捉えて離さない起伏豊かな展開ながら、これはどうも普通小説っぽいな…と思いつつ読み進めていると、終盤には物語はちゃんとミステリのジャンルへと転調し、我らが「名探偵」大心地先生をクライマックスに招聘する。
 人の心に潜む切ない暗闇をミステリの「謎」とする趣向はシムノンや現代の国内新本格派の一部とかに通ずるものもあり、その普遍性が豊饒な精神的快感をもたらす。『文学少女』などでは名探偵役でありながら傷ついた人の心を慈しむ役割も負った大心地先生(和製メグレのひとりみたいだ)が、ここではハードボイルドにズバズバと、事件の主要人物の心のあやを自分の学識でぶったぎっていくのもカッコイイ。

 それにしても本書の木々高太郎の文章は会話が多いこともあり、今でも非常に読みやすい。ただし浅男と夏子の関係=父親が同じで母親のみ違う、血の繋がった妹を「義妹」と叙述するのは今の語感でヘンだ。昭和20年代の当時には、そういう用法もあったのでしょーか。

No.55 4点 古寺炎上- 司馬遼太郎 2016/07/18 03:53
(ネタバレなし)
 表題作と『豚と薔薇』の、単発ミステリ二作を収録した中編集。

『古寺炎上』
 曾根崎の酒場「S」で働く女給・福家(ふくいえ)葉子は、パトロンのように毎月の手当をくれる店の中年客「池沢」と、この一年、自宅のアパートで肉体関係を結んでいた。その葉子は池沢とは別に、本来は育ちの良い青年ヤクザ・桧垣純一という情人とも付き合っている。そんなある日、洛西の延喜寺の庫裡から出火。焼け跡から寺の重職である門跡代務官・沢柳隆寛権僧正の死体が見つかるが、新聞に報道されたその男の顔はあの「池沢」のものだった。池沢は以前にSで「寺田」なる男との面談を求め、その際に不審な挙動を示していた。桧垣と葉子は池沢=沢柳の周辺に何やら金の匂いを感じ、新聞記者と偽って火事場の延喜寺を訪れるのだが…。

『豚と薔薇』
 大阪の文化団体「古墳保存協会」に務める30歳の田尻志津子。その彼女が五か月前に別れた情事の相手・尾沼幸治が、大正橋の下で変死体で見つかった。死ぬ前に尾沼は旅先の高知から、志津子宛に復縁を願う手紙を書きかけていたことが警察の調査でわかる。折しも志津子は、実兄の友人で今は大阪の新聞社の社会部次席となった中年・那須重吉と12年ぶりに再会。那須と彼の部下の社会部記者たちと連携しながら、素人探偵となって尾沼の怪死事件を探るが…。

 今さら紹介の要も無い『坂の上の雲』『燃えよ剣』そのほかの巨匠作家が、生涯で本当に例外的に手を染めた、単発の現代ミステリ2本を収録した中編集。
 本書への収録は上記通りの順番だが、実際には『豚と薔薇』が1960年の「週刊文春」に連載、表題作が61年の「週刊サンケイ」に連載された(『豚と薔薇』を表題作にした別の書籍もあるようである)。
 当時から時代・歴史小説の分野では評価の高かった作者自身が、本書刊行当時から畑違いのジャンルへの挑戦とその結果の不出来を認めたこの2作。今後もう推理小説は書かないとも公言したこともあり、この両編は後年に刊行された司馬遼太郎全集にも未収録という、現在ではほぼ幻の作品となった。それゆえか文春の司馬ガイドブック『司馬遼太郎の世界』(1996年)の巻末資料「司馬作品全ガイド」などでも黙殺されている。

 それで実際のところ、どんなかな~と思って読んでみると、うん…まぁ、確かにそれぞれしょぼい出来(苦笑)。
 特に表題作の方は、先に作者自身が取材した現実の金閣寺の火災事件の話題などもちゃんと盛り込み、さらにそこに持ち前の寺社や武家社会の歴史観などを加えて独自のミステリの方向を築こうとした気配もあるが(そういうものを書いてほしいと、編集部が依頼した可能性もアリ)、実際の完成作品は、迷走する筋立て、最後の<ミステリ的な決着>のためデウスエキスマキナ風に引っ張り出される<意外な犯人>など、ほぼ全体的になんだかな、な感じである。まぁこれまでの人生の軌跡がかなり細かく描き込まれた主人公の男女コンビには、ちょっとだけ惹かれる部分もないではないのだが。

 それに比べると『豚と薔薇』の方は、登場人物も筋立てもわずかながらいくらかマシな感じで、肝心の殺人劇の真相(もろもろのトリックも含めて)ももう少し練って書けば、クリスティーとかの諸作あたりに近いものになりえたかもしれない、そんな印象はある。
 正直なところ『豚』の方が若干手慣れた感じだからこっちが後発だろうと思っていたら、書誌を確認すると前述の通り『古寺』の方が執筆が後で、少し驚いた。高知県の製紙業界の歴史に踏み込んでいくあたりとか、『豚』の方も作者の持ち前の素養を活かそうとした雰囲気はあるんだけれど。 

No.54 7点 ネ・メ・ク・モ・ア- 渡辺啓助 2016/07/16 11:38
(ネタバレなし)
 20世紀全域を通じての日本探偵小説(推理小説/幻想浪漫小説/空想科学小説)文壇の名だたる重鎮たちとの交流があり、2002年に101歳で大往生された文字通りの巨匠・最後の作品集。

 それで本書『ネ・メ・ク・モ・ア』は作者の信奉者にして最高級の研究家・小松史生子の編纂による大部の労作で、400ページ以上・二段組みの上製本の中に全20本の中短編、ショート・ショートが、緻密な作品解題、年譜、書誌研究などとともに収録されている。
 作者の代表作は一般には戦前のものとの定評があるそうだが、本書はあえて戦後作品の収録にも傾注。時代のなかで推移した作者の多彩な作風を意識的に打ち出した方向の一冊のようだ(ちなみに本書の巻末に所収の各作品の解題については、作者とその作品への編纂者からの敬愛の念も深い文章に圧倒され、一見の読者としてはただただそれに頷き、感嘆するしかない!)

 自分が今回本書を手にした最大の目的は、中島河太郎などが日本推理小説史上の主要作の年表などにも記載している中編『オルドスの鷹』(昭和18年の直木賞候補作品)を読むためだったが、このたび初めて実作に触れてその実態を知った。亜細亜植民地化の国策に沿った内容だが、同時に浪漫性とドラマ性のある大陸冒険小説で、この姉妹編といえる中編『埼西北撮影隊』とあわせて重厚感では本書の中での核となる。
 ただし自分が素で初読してさらに感銘したのは『魔女物語』『黒衣(ブラック)マリ』などのどこかウールリッチを思わせるペーソス感とセンチメンタリズムが漂う戦後の短編ミステリ作品。ほかにも印象的な作品は多く、都内にエジプトミイラと暮らす下宿が主舞台となる異色譚『ミイラつき貸家』、日本でも早期に海外の戦後SFに目を向けた作者らしいユーモラスな導入部の『空飛ぶエプロン』や庶民派の艶笑譚風ミステリ『山猫来たりなむ』などもとても良い。この辺はストーリーテリングの面白さと、いかにも昭和風俗ミステリらしい語り口の妙味、その双方の要素が溶け合っている。
 中にはごく数本だけ、愛情あふれる編纂者の巻末の解題ほどには作品の良さがいまいちピンと来ないものもないではないが、一週間~十日強ほどかけて眠る前にちびちび読み進め、本書収録の大半の作品のおかげで幸福な読書の時間を過ごせた。末端の読者ごときが不遜ではあるが、改めてこの大家の膨大な実績に敬意を表させて頂きます。

 なお本書のタイトル『ネ・メ・ク・モ・ア』の出典は、昭和56年の短編『ピエロの勲章』(本書には未収録)の中の一節から採ったそうで、意味はフランス語で「私だけを愛して」だそうである。こういう題名の中短編が収録されて、それが標題になっているのではない。ところで解説ではこの本書の書名を『ネメクモア』と濁点抜きで表記しており、この齟齬がちょっとだけ気になる。Amazonや東京創元社のサイトでも『ネメクモア』表記なのだが、今回のレビューは書影からの標記どおり『ネ・メ・ク・モ・ア』にした。こっちの方がダンディーに思えるし。

No.53 7点 二月三十一日- ジュリアン・シモンズ 2016/07/15 06:28
(ネタバレなし)
 第二次大戦終戦から数年後のイギリス。ヴィンセント広告会社の企画部長で40代の男アンダソンは、元雑誌編集者の28歳の妻ヴァレリイ(ヴァル)と二人暮らしだった。そのヴァレリイがある夜、自宅の地下室に降りる階段の下で死体で見つかる。夫の故殺あるいは謀殺の可能性も取りざたされたが、結局はヴァレリイが転落事故で頭の骨を陥没させたということで落着した。上役や同僚が不幸を気遣う中、元の仕事に復帰するアンダソンだが、そんな彼の周囲で、生前の妻からのかなり日数が経った手紙が届いたり、卓上の組み換え式のカレンダーがいつのまにか妻の命日を表示していたり、ささやかな、しかし奇妙な事態が続発する。そんな折にアンダソンの前に現れたクレス警視は、匿名の密告書がアンダソンが妻殺しの殺人者だと訴えていると語るのだった!?

 気になる未読の旧刊を消化しようと思い立って読み始めた一冊だが、これは予想以上に面白かった。 
 奇妙な怪事が続く中、少しずつ精神の均衡を失っていく主人公アンダソンの叙述と併行して、当時のイギリス広告界の職場での猥雑な人間模様が語られ、これが一種の「業界もの」風な興味を醸し出す。その辺の普通小説(サラリーマンもの)的な部分も面白いが、決してそれだけではない。当時の英米の雑誌の書評はミステリとしておおむね好評な反応を寄せたようだが、それもうなずける。
 ミステリの流れが最終的にどういう方向に行くかはもちろん書けないが、小説の後半はもろもろの要素が絡み合って強烈な加速感を増し、終盤の真相に驚き、そして(中略)には掛け値なしに慄然とさせられた。なるほどこういう作品だったのか! と個人的にはかなりスキなタイプの一冊である(笑)。全体の印象としては、マーガレット・ミラーか初期の日下圭介、あのあたりに通じるものがある。

 ちなみに本書ポケミス版の翻訳の悪さはよく囁かれるが、当初からそのつもりで若干の気構えを込めて読むなら、筋立てや描写がわかりにくい個所は実のところそんなにはない。読む前は自分もそうだったのだが、初版では作者の和名が周知のとおり、本邦初紹介ゆえ「サイモンズ」表記だったのも、訳文そのものがかなりダメという悪印象をなんとなく与えているのではないか。実際にはそんなこともないのだけれど。
 とはいえ出来れば平明な現代の訳文で多くの人に読んでもらいたいなぁ、コレ。いまの創元あたりが版権切れを狙って新訳で出すとか、出来ないかな。

 ところで題名の意味は、作中の事象としては、ある時アンダソンの卓上カレンダーに表示されていた、もちろん現実にはありえない架空の日付のこと。作中ではその具体的な含意は語られないが、読者の観念や想像力を刺激するタイトルだ。

No.52 6点 葬られた男- ミルドレッド・デイヴィス 2016/07/14 04:44
(ネタバレなし)
 アメリカの田舎町リットルフォーク。地方紙の記者として最近、転居してきた20代前半の若者ガーナード(ガニィ)・カーは、一年前に交通事故死した土地の名士について調査を始める。その者の名は、享年44歳の薬剤師セルウィン・ボーマン。街の誰からも敬愛される博愛の人物だったが、そんな彼には過去一度だけ大きなスキャンダルがあった。それは22年前に起きた、土地の銀行家で初老の資産家アーネスト・ラブジョイ毒殺事件の犯人という容疑だった。セルウィンの嫌疑はほどなく解消し、彼はその後も街の人気者として生涯を終えたが、事件の真犯人は不明なままだった。迷宮入りした毒殺事件に強い関心を抱いたガニィは、親しくなった街の人々から証言を得て回るが。

 50年代のアメリカ女流作家ミルドレッド・デイヴィス(喜劇俳優ハロルド・ロイドの、同じ和名表記の奥さんとは全くの別人)が1953年に著した長編第二作。
 全18章の小説は主人公かつ狂言回し(探偵役)のガニィ、そして彼が出会う街の人々の述懐で章ごとに区分けされ、ポケミス解説担当の乱歩はそのスタイルを『月長石』に例えているが、自分が読んだ印象ではフランスのクラシック映画『舞踏会の手帳』なども思わせる。物語の冒頭で死亡した人物が全編のキーパーソンとなる趣向は、先に刊行された英国作品『ヒルダよ眠れ』(1950年)の影響などもあったかもしれない。
 派手なケレン味などはまるで無いが、二十人弱の主要な登場人物はほぼくっきりと描き分けられ、ページをめくるにつれて人間関係の交錯と過去の事件の露呈が少しずつ進行していく手際は鮮やか。翻訳も60年前のものとしてはおおむね読みやすい。
 タイトルロールの「葬られた男」セルウィンという人間の実像、そして意外な事件の真相が明かされる終盤はじわりと読む側の胸に沁み込む感慨があり、小説的な完成度も含めてなかなか良く出来た50年代ミステリ。特に前者の面では、21世紀の今、あらためて訴えるものも多いかとも思える。
 ちなみに作者の未訳の処女作『The Room Upstairs 』(1948) はMWA処女長編賞を受賞。当たりはずれのある賞だとは思うけれど、本書『葬られた男』の手ごたえなら今からでも読んでみたい。
 なお本書の評点は、本当に惜しいところで7点に届かず6点。読ませる一冊だとは思うが、もうちょっとサスペンスやストーリーの起伏があってもいいとも感じるから。

No.51 6点 アルザスの宿- ジョルジュ・シムノン 2016/07/13 04:12
(ネタバレなし)
 シムノンの非メグレもの。普通小説に近い内容のものを予期していたが、山荘のホテルからの現金盗難事件、国際的詐欺師を追うパリ警視庁の警部、そしてレストラン兼宿泊宿「アルザス亭」の謎の長期宿泊客セルジュ・モローの正体…!? とちゃんとミステリ要素も盛り込まれている。
 ホテルでの盗難事件、逆境の未亡人とその娘とセルジュ氏のからみ…と物語が分断されていく中盤はちょっとだけかったるかったが、終盤には、ある登場人物の人生からもうひとつの顔が覗く、いつものシムノンのロマンと小説を読む快感がある。
 主人公はシリーズ化してほしかった気もするが、そうなるとこの作品のような魅力はもう出なかったろうなぁ。シムノンファン、メグレファンなら一読はお勧めする佳作~秀作。

No.50 5点 樹液少女- 彩藤アザミ 2016/07/10 02:26
(ネタバレなし)
 幼少時に生き別れた妹・蓮華(れんか)の消息についての情報を得た25歳の消防士・森本。彼は、妹が今もそこにいるかもしれない、藍ヶ岳にあるビスクドールと陶芸の鬼才・架神千夜の山荘に向かったが、吹雪のために遭難しかけた。そんな森本は山荘の住人である美少女・碧(あおい)に救われるが、雪に閉ざされた山荘で彼を待っていたのは奇怪な殺人劇であった。

 クローズドサークルものに暗号の謎の要素を加えた犯人捜しのパズラー。森本の妹の行方と、女流芸術家・千夜の奇妙な言動の方も謎となり、それなりの求心力はある。また中盤の殺人において死体がある状態で発見されるが、そこで浮上する謎<山荘にある陶芸用の高熱窯なら死体の焼却もきわめて簡易に行えるのに、なぜ犯人はそれをしなかったのか?>もなかなか面白い。
 
 とはいえ最後まで読み終えると随所に才気を覗わせながらも、謎解きミステリとしては全体的に踏み込み不足、あるいは中途半端な部分も感じさせ、その辺の長所と短所はデビュー編である前作『サナキの森』といっしょ。特に暗号の底の浅さや、一番ショッキングな部分が予想の範疇というのはどうも……。

 ただ今回の方が、ミステリというジャンルそのものへの食らい付きは上達している印象もある。具体的には、五日目~後日談の、物語の流れの上でのひっくり返しなど悪くない。下手な作家なら最後の最後まで<そのネタ>で引っ張ってドヤ顔しちゃいそうだし(ただしその一方、それはそれで新たな説明不足な箇所を生じさせてしまったような気もするが…)。

 まだ生硬な感じは抜けないが、もう数冊書いていくうちにやがて一皮むけるのではないか、そんな可能性を感じさせる新鋭だとは思う。

No.49 5点 稀覯人の不思議- 二階堂黎人 2016/07/09 18:33
(ネタバレなし)
 今年の3月頃に読んだ一冊だが、気づいたらまだどこにもレビューを書いてなかったと思うので、備忘録も兼ねて感想を。

 密室トリックの方はシンプルな技術系で、そういうことできるんだ、という説得力はあるがその分インパクトは薄い。事件の真相(真犯人周辺の設定)もこれを許すかどうかはミステリファン次第だとは思うが、今回は悪い意味で自由度に寄った印象で個人的にはあまり好ましくない。
 作者があとがきでも触れている死体を消すトリックだが、これが一番印象に残る。やはりシンプルな創意だとは思うが、現実の世界でも実際に悪用されていそうな気さえする。

 ちなみにコレクター描写の方は、作者自身の若き日の体験を反映したものだろうし、その意味で時代設定が80年代の事件になったのはいたしかたない。
 ただできれば手塚作品の需要度や評価がその頃とは大きく変わった、またWebなどでの古書検索~取引も普遍化された21世紀現在での、同じネタの物語を読みたかった気もする(ちなみに、このレビューの筆者はそれなりに年季の入った手塚作品ファンのつもり)。
 二階堂先生、できましたらいつかこの続編的な2010年代を舞台にした手塚作品ファン&コレクターネタの新作を書いてください。 

No.48 7点 嵐の館- ミニオン・G・エバハート 2016/07/09 05:14
(ネタバレなし)
 資産家だった父を亡くした若い娘ノーニは、カリブ海の孤島ビードン島の農場主ロイヤルと数日後に結婚する予定だ。相手のロイヤルは、ノーニの父の友人で初老の男性。年の差はあるが、ノーニは子供時代からの長い付き合いで親しみを感じていた。だがノーニは式の直前に、島の青年ジムと本心での自分が相思相愛なのに気づいた。ロイヤルとの婚約解消を考えるノーニだが、そんな矢先、ジムの伯母でロイヤルと並ぶ島の農園主ハーマイニーが何者かに銃殺される事件が起きる! 島に嵐の気配が迫るなか、殺人事件はやがて次の事態へと…。

 1949年の長編。程よいエキゾチシズムの中にメロドラマはたっぷり、サスペンスもなかなか。疑わしい登場人物が入り乱れるフーダニットの興味もそれなりにあり、犯人捜しとしても普通に楽しめる。なお解説で書かれるように、伏線というか手掛かりがかなり大胆に張ってあり、その辺は国産ミステリでいえば仁木悦子あたりの手際に近い印象。
(とはいえ筆者はそっちの手掛かりとは別に、小説の流れの方で終盤の展開を予想。その場合、犯人は…だろうな、と推察したら、その通りだった。)

 手慣れた作家の安全株という感触でまとまり良く、リーダビリティも高い一冊だが、タイトルロールの「嵐」がもう一つ効果を上げてないのだけはナンだった。この辺は、我が国の『風花島殺人事件』のクライマックスの臨場感とかの方が、はるかに印象深かったりする。
 いずれにしろエバハートも、もっと紹介してもらってもイイね。

No.47 6点 ラメルノエリキサ- 渡辺優 2016/07/07 04:10
(ネタバレなし)
 正義とか良心とかとは無縁の部分で、幼少の頃から復讐という行為に病的なまでに執着し、16歳の現在、己を「復讐の申し子」と自認する「私」こと美少女高校生・小峰りな。そんな彼女はある夜、何者かに路上で斬りつけられ、胴体に裂傷を負う。素性不明の犯人が逃げる前に言い残したのは「ラメルノエリキサ」という謎の言葉。りなはそのキーワードを手掛かりに、決然と復讐の対象としてその犯人の正体を捜すが、やがて第二の事件と思しき事態が発生して…。

 第28回小説すばる新人賞の受賞作で、腰巻には「“復讐”をモットーに生きる少女が失踪する、痛快青春ミステリ!」とあり、宮部みゆきも賛辞を寄せている。

 ジャンルをあえて分類するなら、一応のフーダニットとホワイダニットの要素をそなえた青春小説で悪漢小説とも呼べる広義のミステリ。本の体裁は大きめの級数で180ページ前後の文芸本だから、読了までにそんなに時間はかからない。ただ紙幅がその程度、登場人物も名前が出る者だけで15人程度と少なめながら、その割にはなかなかこってりした感触を残す。その意味では悪くなかった。
 相応の求心力とインパクトはある主人公だが、一方でシンクロできない読者も多いんじゃないかな、と思う。筆者はもうちょっと続編でも付き合ってみたい、という程度には魅力を感じたけれどね。
 しかし作者が一番描きたかったのは、終盤に明らかになるお姉ちゃんの心情じゃないかな。そのかなり微妙な心持ちのありようは、個人的にもストンと落ちるわ。

 でもって肝心のミステリとして総評するなら、惜しくもその点においてはやや薄味…とも一度は書こうと思ったが、このweb時代に<検索してもわからない言葉「ラメルノエリキサ」の謎>というネタをひとつの柱にしたのは、ちょっとした創意かもしれない。あと犯人の動機の謎も真相がわかったのち、主人公のキャラクターにうまいことからんできてもいる。そう考えていくと、そんなに悪くないね。
 評点はほんのちょっとだけおまけして6点。同じ主人公の続編が数年後に出たらまた読んでみたい、とも思う(少し間を置いて書いてほしい。劇中時間そのものは、そんなに経過しなくてもいいけれど)。 

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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