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人並由真さん
平均点: 6.33点 書評数: 2034件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.2034 7点 つぶやき岩の秘密- 新田次郎 2024/04/29 05:31
(ネタバレなし)
 昭和40年代(おそらく)の三浦半島。そこの小さな村に住む小学六年生の三浦紫郎(しろう)は2歳の時に海に漁に出た両親と死別し、その後は元網元の祖父・源造と祖母のぬいに養育されていた。大人びた秀才で多感な紫郎の心を慰めるのは、時に亡き母の声を思わせる、近所の「つぶやき岩」の反響音だ。そんな紫郎はあることを機に、大戦末期に軍部が海岸の周辺に広大な地下要塞を設け、そこに今も多額の軍資金の金塊が秘蔵されているらしいという風聞を知る。紫郎は周囲に出没し、また運命的に出会った大人たちを意識しながら、担任の若い女性教師・小林恵子の協力を得て、隠された秘密に迫っていく。

 1972年に山岳小説の雄・新田次郎が書き下ろしで著作した、作者の生前唯一のジュブナイル。もともとは当時、二人の幼い孫にいずれ読んでもらうことを想定して書いた作品のようである。

 昭和の世代人として、当然、本作のタイトルはNHKの連続番組「少年ドラマシリーズ」の一つとして知った。
 とはいえ当時の筆者は、最大級のメジャー作品『タイムトラベラー』正続編や、最愛のオヨヨシリーズの実写化『怪人オヨヨ』などを例外に、ほとんどリアルタイムの少年ドラマシリーズは観ていない。理由はひとえに、少年ドラマシリーズが放送されていた夕方の時間枠は、裏番組の民放の特撮やアニメの再放送ばっか優先して観ていたからである(笑・涙)。
 日本の児童番組史における少年ドラマシリーズの重要性と、ちゃんと観ていたファンの熱い思いを初めて知ったのは第一次アニメブーム(1970年代の末)の頃に雑誌「マンガ少年」(朝日ソノラマ)で、国産アニメの読者人気投票に続いて、国産特撮番組の人気投票を行なった際、意外なほど多くの少年ドラマシリーズのSF作品がベストテンの圏内にランクインしたことから。
 ここで初めて評者は『なぞの転校生』も『未来からの挑戦』も『暁はただ銀色』も、初期ウルトラシリーズに匹敵する秀作トクサツ番組だと知って、度肝を抜かれた! まもなく雑誌「ランデブー」そのほかでも少年ドラマシリーズの特集は頻繁に組まれるようになったが、それから間を置かず、じつは大半の少年ドラマシリーズの映像は、NHKが録画ビデオを消去したため、現存していない、という悲劇の事実を知る。ならば、ちゃんと本放送で観ておけばよかった!
 
 そんななか、本作『つぶやき岩』の少年ドラマシリーズ版は幸運にも映像の消去を免れた稀有な番組の一本であり、現在では無事に映像ソフト化もNHKのアーカイブ化もされている。
 が、そういう恵まれた状況となると、ヘソマガリでわがままな評者は、消されてしまったSF系の諸作の方ばかりがないものねだりで観たくなり、少年ドラマシリーズの主流のSFジュブナイルでない、ミステリ冒険小説ものらしい『つにやき岩』はまあその内……くらいに消極的な興味になってしまったのである(あのな)。この辺が、90~2000年代あたりの心境。

 でまあ、マクラが例によって長くなったが、結局、くだんのドラマ版『つぶやき岩』はいまだ未視聴である(前述のようにソフト化はされているので、ちょっと頑張ればドラマ本編はいつでもすぐ観られる)。
 そんななかで、じゃあまずは原作から嗜もう、というのは現在のワガママジジイの評者にとって、かなり自然な心の動きであり(そうか?)、図書館から新潮文庫を借りてきた。

 そもそも、ここまで長々と書いてきた側面もふくめて、新田次郎のジュブナイルミステリ『つぶやき岩の秘密』はそれなりに世の中に知られた作品のハズなのに、ツワモノが揃う本サイトでまだレビューがないというのもちょ~っとだけ腹立たしい(え?)。
 というわけで原作『つぶやき岩』の感想だが、主題となる宝探しの設定は序盤から開陳。あとにも先にもネタバレを気にしなくていいほどに、シンプルな構造の作品だとはすぐに判明した。
 読みどころは、主人公の少年・紫郎の視座から見まわされる物語の場の奥行き(地下要塞という魅惑的な舞台装置もふくめて)と、周囲の清濁の濃さを感じさせる種々の大人たちとの関係性。この手のものにほぼ必至だと思う、同級生で冒険に付き合うガールフレンドがまったく不在なのがかえって古めかしい。80~90年代以降のラノベだったら、まず考えられない人物配置だ。ちなみに実質的なヒロインとなる恵子先生の存在感とその役割については新潮文庫の解説で十全に語り尽くされていて、ここで書き足すこともあまりない。主人公の成長を促す登場人物は劇中に何人か登場するが、最大のキーパーソンである某男性キャラに続き、二番手としてこの恵子先生がそのポジションを負っている。
 
 良くも悪くも迂路の少ない直線的な冒険ジュブナイルと思いきや、終盤である種のミステリ的ギミックが登場(くわしくは実作で)。ただし、そのギミックそのものの謎解きの面白さよりも、そのギミックが主人公の試練となる作劇の方が重要で、そこに込められたとある登場人物の心情も胸を打つ。
 それなりに得点はしている佳作という感じの作品だったが、終盤のニ十ページ前後で、個人的には大きく評価を上げた。ちょっと泣ける。ちなみにその辺のシークエンスの読解についても、こちらが感じた思いを実に的確に新潮文庫の解説で言語化してくれていて、こっちのヘボな感想はお呼びじゃないね(笑)。
 このラストの文芸性が新田文学の持ち味というなら、これから追い追い未読の諸作を読ませてもらうのが、改めて楽しみだ。

 まとめるならシンプルなお話を短い紙幅で語ったシンプルな冒険ジュブナイルながら、最後の方で作品全体の格がそこでまた、ひとつふたつ上がる秀作。

 ちなみにネットで目についたウワサによると、くだんの少年ドラマシリーズ版はラストが改変されているらしい。やはりいつかタイミングを見て、そっちも鑑賞してみることにしよう。

No.2033 5点 毒入り火刑法廷- 榊林銘 2024/04/28 16:22
(ネタバレなし)
 人類の中から、超常能力を持つ人種「魔女」が覚醒した世界。法整備のされていない段階でひとりの魔女が、その能力を使った殺人を行ない、その犯行は法律の認定外ということで無罪を勝ち取った。だがそれを機に一般人は、社会の中に潜む魔女を脅威に思い、異端視を強めるようになった。かたや覚醒した魔女たちもまた、自分の正体を保身のために秘匿するようになる。ただひとりの例外である、魔女科学の研究に協力し、女王に公認され、民衆の支持を受ける魔女の歌手シュノンソー・ド・ヴィクトゴーを除いて。そんなこの世界は、魔女が特殊能力で犯罪を犯した場合、随時開かれる臨時裁判「火刑法廷」の場で、その犯罪事実と魔女の存在を認定。即時、処刑するようになっていた。そしていま、ひとりの少女が、ある殺人事件の容疑者=魔女として裁かれる。

 「魔女」が実在するパラレルワールドの世界(英国かな)を舞台にした特殊設定ミステリ。その世界観は、オカルト寄りというよりは、新人類ミュータントの台頭が人類という種の集合体を切り崩しつつある『ⅩーMEN』とかのそれに近い。要は優位人種と、それを迫害しようとする(一部は和睦をはかる)旧人類との関係性を語る作品世界である。

 冒頭からマンションの上階で起きた広義の密室(かな)殺人と、それにからむ魔女審理でぐいぐい話が進み、このペースじゃ一冊埋まるわけはない、ある種の連作的な構成かな? と思ったら、実際にそうだった。
 作品は「ジャーロ」に三回に分けて連載されたものらしいが、作中では三つの事件が順々に謎として提示され、ひとつひとつ決着を迎え、最後には全体としての大きな物語の結構を見せる(あまり書いてはいけないので、ここまで)。

 特殊設定ものという大前提を承知の上で、謎解きミステリとして読んでいく。魔女は飛行能力や、変身、人間の精神の操作など、いくつかの行為が可能である、と情報が読者にも与えられ、その上で、謎解き作品として話が進みかける。しかしそうすると、ミステリの作劇コードを外していると思える部分が目立ってきて、振り回されて疲れた。
 途中から、これはミステリの興味をダシに、良くも悪くもSFの方を優先してやりたいのかな、とも思ったり(特にふたつめの事件のあたり)。
 で、まあ、最後には(以下略)。とにかく疲れた。

 読後に、軽く~中度に疲労を噛み締めつつ、Amazonのレビューを覗くと平均点はそれなりに高いが、コメントは、わけがわからない作品! と悪評ひとつ。つまりはホメる人は言語化しにくい作品、あるいはヘタなことを言うと恥をかきそうな作品ということだと邪推する。
 またTwitter(現Ⅹ)では、ゲーム『逆転裁判』みたいだ、との声であふれかえっている。
 評者は『逆転裁判』シリーズはゲームもアニメもまったく縁がない(ノベライズを一冊読んだが)ので、その辺の感覚がまるでわからない。もしかしたら、同作のファンならもっと理解の補助線が引かれて、読みやすく楽しめるのかしれない。
(いや、『逆転裁判』うんぬんとは関係なく、単純に評者の読み方が悪いせいかもしれないが。)

 あるひとつの大技は楽しかったが、もしかしたら作者の方も、もう少し良い意味で内容のコンデンスさを回避して、メリハリのある演出を願いたいとも思った。
 シリーズの次作が書かれるのなら、もうちょっとその意味で薄口でお願いしたい。

No.2032 6点 ゴメスの名はゴメス- 結城昌治 2024/04/27 07:57
(ネタバレなし)
 少年時代から、読もう読もうと思っていた作品。
 まずはタイトルについて『ウルトラQ』ネタは禁止だ(笑)。

 ベトナムを舞台にした、時代色の強い外地エスピオナージ。登場人物も耳慣れない響きの名前の者が多そうで、敷居が高そうだなと長らくなんとなく思っていたが、とんでもない。昭和の和製ハードボイルドミステリ的な筋運びと文体で、サクサク頁がめくれる。

 ただし大筋そのものは存外にシンプルで、悪くいえば単調。ストーリー上のツイストやサプライズも随所にあるが、総じて叙述の良さという器の安定感に対し、そのなかに入っている具の方が弱い、感じであった。

 ただ一方で、そういう見方をしてしまうのは、お話がつづら折りになった海外の一部のスパイ小説とかを基準にしてしまうからだろう。
 失踪した友人を追う、心にある種の屈託を抱えた一人称一視点の主人公の物語としては、実はこのくらいの<最後に明かされる真実>でよかった、のかもしれない。そう考えると、そんなに悪くないかも。

 クロージングを含めて、全体のムーディな雰囲気はとても良い。登場人物もベトナム青年ナムなどを筆頭に、そんじょそこらの作家じゃ書けないレベルの造形だ。

 とはいえ7点つけると、やっぱ、今の自分の気分じゃ、どっかウソになってしまうんだよな。この点数の上の方、ということで。
 またいつか読み直してみたら、評価は変わるかもしれないし、変わらないかもしれない。そんな当たり前のことを、自分ではそれほど当たり前でないつもりの心情で言っておく。

No.2031 6点 真夜中の詩人- 笹沢左保 2024/04/25 07:58
(途中から、ネタバレあり。注意)
 誘拐ものの秀作という定評? の作品。
 笹沢作品のなかでは結構、量感のある紙幅だが、例によってスラスラ読める。
 ある程度の大きな仕掛けは見えるが、ラストのサプライズは効果的。

 で……。
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(ここからネタバレ)
 真相には驚いたが、犯罪者側の計画を聞かされたのちに疑問が湧く。
 
 こういう犯罪計画だったら、麻知子の方から真紀に接近し、親しくなるのは悪手だったんじゃないか? 具体的には「和彦」の帰還後、「良かったですね。お祝いに、お坊ちゃんのお顔を拝みにお伺いしても、よろしいでしょうか」とか真紀に言われたら、どうするつもりだったのか。最終的に遠方に逃げようとはしているが、それまでにヤバいタイミングはそれなりにあったのではないか、と思うが。それまでに真紀が動かないという何らかの確信でもあったのか?
 あと、やはり「和彦」の帰還後、月単位で「誘拐」されていたんなら、主治医の産婦人科なり小児科医なりの健診があるだろうに、その時点で別人と判明するのではないか?
 さらに言うなら、警察レベルならさすがに子供の顔写真は要求してるだろうに、捜査陣は帰って来た子供の顔の確認もしなかったのか?
 本来ならいくつものイクスキューズが必要なところ、作者もひとつひとつ、シロートでも思いつく疑問に応えるのが面倒くさくなって、うっちゃっている感じ。
 トータルではまあまあ面白かったが、出来のよい作品ではない。

No.2030 7点 影の監視者- ジェフリー・ハウスホールド 2024/04/25 04:44
(ネタバレなし)
 1955年5月のロンドン。「わたし」こと、元オーストリアの貴族で今はイギリスに帰化した43歳の動物学者チャールズ・デニムに届けられた郵便物が爆発し、郵便配達人が巻き添えで死亡した。デニムは大戦時に英国側のスパイとして働き、ゲシュタポに潜入してナチスにひそかな打撃を与えていたが、今度の事件はその過去に由来するらしい。その傍証として、デニムのかつて同僚だった本物のゲシュタポで戦争犯罪人として服役していた連中が、何人も出所後に謎の復讐者「虎」によって殺されていた。自分もまた復讐の対象となったと自覚するデニム。彼は大戦当時の自分の立場と真意を「虎」に伝えるすべもないまま、復讐者の殺意に立ち向かうことになる。

 1960年の英国作品。
 安定期のフランシス作品(競馬スリラー)を想起させる、あまりにも掴みのよい序盤から開幕。主人公デニムはかつて自分なりの正義と博愛の念からあえて大戦時にナチスの汚名を着て、処刑されかかる罪もない若い娘を助けたりしていた。が、戦後はそんな過去の微妙でややこしい立場が周囲(たとえば同居している母親がわりの伯母さんなど)に露見することを危惧している。デニムはかつての上官イアン・パロウ大佐に相談に行くものの、決定的な打開策を得られず、北バッキンガムシャーの地方に潜伏、同時に敵の「虎」への対抗策をとり始める。ここまでが全体の7~6分の1。

 田舎に舞台が移ってからの中盤には本当に若干の冗長感はあるが、それでも、ここで数名の重要人物が登場し、さらに復讐者「虎」(のおぼろげな気配)も含めて、冒頭からのキャラクターたちの描写が掘り下げられていくので、やはりそのパートも決してムダではない。
 そして何より、後半のクライマックスがハイテンション。
 メインキャラクターふたりが織りなす「決闘」小説となる。

 デニムの運命がどうなるのか、物語がどう決着するのか、最後の後味は、などはもちろん、ここでは書かない&言わないが、クライマックスを経たエピローグ、余韻のあるクロージング、そのどちらも非常にいい。最後まで豊潤な味わいの小説を読ませてもらった、という幸福な感慨に包まれた。
 いま読んでも良かったけれど、中高校生時代に出会っていたら、たぶんきっと<世の中の多くのミステリファンは知らないだろうけれど、自分だけは知っているマスターピース長編、えっへん>的な、思い入れを感じる一冊になったろうなあ、とも思う(笑)。

 ちょっと地味目ではあるが、いいね、ハウスホールド。邦訳がある未読の作品を読むのも、楽しみにしておこう。

No.2029 8点 幻奇島- 西村京太郎 2024/04/23 04:55
(ネタバレなし)
 その年の初夏の東京(たぶん)。「わたし」こと34歳の大手総合病院の内科医・西崎は、六本木のバーで友人と飲んだ帰りに運転し、若い女性をはねてしまう。病院に駆け込んで女性は一命をとりとめたが、西崎は警察の聴取を受けるなか、飲酒運転の事実はごまかそうとした。だが負傷した女性は素性不明のまま、西崎の車を盗んで姿を消す。その行方は杳として知れなかった。飲酒運転の件での逮捕こそ免れたものの、恩師かつ院長から疎んじられた西崎は、南海の石垣島からさらに離れた孤島「御神(おがん)島」で二年間、地元の診察医を務めるように命じられた。やむなく指示に従う西崎だが、そこで彼を待っていたのは殺人劇と、そして思いもよらぬ体験だった。

 元版は1975年5月の毎日新聞社の書籍(ただし現在、Amazonに書誌データなし)。
 評者は今回、ブックオフの100円棚で見つけた徳間文庫の新装版で読了(解説もなく、本文が終わるとそのまま奥付という仕様)。

 本サイトで先のお方が、だいぶ前に4点とかなり低めの採点をしてるので、こちらもややお気楽な気分で期待せずに読み出したら、意外にも結構、面白かった。
 あわててTwitter(現Ⅹ)で本作の感想を探ると、マイナーだけどこれは面白い、出来のいい西村作品という声ばっかしで、なんだ隠れた秀作だったんじゃないか、と姿勢を正す。

 一人称主人公・西崎が出会った謎のヒロインもはかなげで幻惑的だが、それ以上に物語の本筋の舞台となる御神島のロケーションが、独特の因習やら妖しい雰囲気やらでとても際立っている。他の作家でいちばん誰に近いかといえば、マッハの速さで三津田信三の名をあげるだろう。それくらい、西村作品としてはかなりとんがっている。

 和製フランスミステリ風に展開してゆく作劇のハラハラ具合も、初期の連城長編か、そのフランスミステリ系にずぶずぶはまっていく時期の泡坂作品、という感じ。

 フーダニットパズラーの興味にはまともな推理小説としては応えていないものの、一応の伏線はいくつか張ってあるし、その上での意外性がなかなか。
 いやもしも幻影城ノベルスで出されていたら、非常によく似合っていたんじゃないかな、この作品(いろんな意味で、絶対にありえんけど)。
 余韻のあるクロージングもいい。カミサマ(名探偵)不在のノンシリーズ作品だからこそ語れた、そんな味わいが最高。

 やっぱ初期の西村京太郎、かなり面白いものが埋もれているねえ。今後の良作との出会いを、楽しみにしよう。

 教訓:作品の現物は、自分の目で最後まで読んで確かめなきゃダメ。
 (もちろん、以前の方のレビューを拝見し、参考にするのはまた別の次元の話ですが。)
 つまり、このレビューを読んで本書を期待して読んで、その上で「……」もアリ、ということでもありますが(笑)。

No.2028 9点 フランチャイズ事件- ジョセフィン・テイ 2024/04/22 06:10
(ネタバレなし)
 イギリスはミルフォード州の、その年の春。15歳の少女ベティー(エリザベス)・ケーンがひと月にわたって、養父と養母のウィン夫妻のもとから消息を絶った。やがてベティーは保護されるが、顔に打撲の痕のある少女は、自分はフランチャイズ屋敷のオールドミスとその老母によって力づくで監禁され、女中仕事を強いられていたのだと訴えた。だが屋敷の住人である40歳代の女性マリオン・シャープとその母は、当の娘など会ったこともないと主張する。しかしベティーの証言で語られる屋敷の内部の景観は、実際のものとほぼ一致していた。果たして実際に誘拐と監禁の事実はあったのか? マリオンの依頼を受けた同世代の独身弁護士ロバート・プレーヤーはベティーの嘘? を暴こうとするが。

 1948年の英国作品。テイの長編、第4作。
 現実の騒ぎをもとにした、少女の誘拐&監禁? 事件が主題らしい、作者のシリーズキャラクターのアラン・グラント警部が一応は登場する(これが3作目)が、ほとんど脇役らしい……などの情報は、読む前から耳知識として知っていた。
 それでも後者については、そのグラント警部の実作内での扱いぶりに思わずアゴが外れた(……)。ある意味で、これほど生みの親に(中略)にされた「名探偵」も少なかろう。
 作者は本作の前にノンシリーズ長編を一冊書いてるので(評者はまだ未読だが)、本当はこれもノンシリーズ編として書こうとしたところ、版元か周囲の意見で、グラントの登場作品にしたんじゃないかと邪推する。それくらい、ミステリ史に名を残した名探偵キャラとしては、すんごいあしらいぶり。その件だけでも、話のネタとして読む価値はある(笑)。

 果たして誘拐&監禁事件は本当にあったのか? 二極の真実を探るなかで主人公のロバートは一応はシャープ母子側の陣営として動くが、最終的に物語がどこに落着するかはわからない。

 これ以上ないシンプルな構造の物語といえるが、地味なストーリーを丁寧な書き込みと英国風のドライ・ユーモアで外連味豊かに語り、最後までサスペンスフルに飽きさせない。翻訳は70年前のもの(1954年9月だから、初代ゴジラの封切り二カ月前だね)で巷で定評の悪評ながら、思っていたよりは読みやすかったのも有難い。いっきに数時間で読み終えてしまった。
 いや、謎解きパズラーの要素はあまりない純然たる捜査ミステリだったが、簡素化された物語の主題が強烈な訴求力に転じて、たぶんこれまでに読んだテイ作品のなかではイチバン面白かった。
 
 本当の悪人か? 冤罪か? いずれにしろシャープ母娘に疑惑の目を向ける(あるいは当初から悪党と決めつけてかかる)一般市民の暴走ぶりもハイテンションで書かれ、テイが裏テーマとして特に書きたかったのは、実はその辺の衆愚さの表出だろう。牧村家を囲む悪魔狩りの市民(原作版『デビルマン』)みたいであった。

 最後の真相が明らかになったのちに感じる、何とも言えない慨嘆の念も鮮烈。そのなかで某メインキャラが洩らすあの一言が、魂に響く。クロージングの余韻もいい。

 何十年もなんとなく気になってはいた一冊(少年時代に買ったポケミスがまたどっかに行ったので、一年ほど前に古書をまた入手した)だが、予期していた以上に満足度は高い。

 他のヒトの評価は知らないが、私の好みにはドンピシャに合致ということでこの高得点。
 できるなら新訳が出て、新しい世代の人にも読んでもらいたいなあ。全員が全員、高い評価をすることはないだろうが、ハマる人はかなりハマるとは思う。

No.2027 8点 閻魔堂沙羅の推理奇譚 A+B+Cの殺人- 木元哉多 2024/04/21 08:52
(ネタバレなし)
 閻魔大王の娘・閻魔堂沙羅は、父の代理執行の職務から離れ、人間界で期間限定の休暇を楽しんでいた。そんな沙羅はとあるホームセンターで、万引きしかけていた小学六年生・宮沢志郎と、その小二の妹・汐緒里に出会う。兄妹の父・竜太はいろいろな事情が重なって酒浸りで生活能力がなく、母の夏妃は重病で病院で死を待つばかりだった。だがそんな一家の周辺に謎の刺客が迫っているのを、沙羅は察知する。

 閻魔堂沙羅シリーズ第7弾。
 3年半前の旧刊だが、シリーズのなかでこの巻だけ、今までなんとなく読み残していたので、今回、思いついて消化する。
 シリーズ前作に続く二回めの長編仕立てで、キャラクタードラマの比重が大きい。ミステリの謎は小粒だが、良い感じでその核に向かって、敷居の低い人間ドラマが築かれていく造りで、なんかケメルマンの「ラビ」シリーズとかを思わせる。
 その上で、今回はそのドラマ部分が予想以上によく(単に評者の好みのタイプの話というだけかもしれんが)、それがミステリ部分とも有機的にかみ合っている。
(実は、人間心理的に納得できるかどうかで、ちょっとグレイゾーンな部分もなくはないのだが、まあ許容範囲。)

 正に「人間賛歌×本格ミステリ!」(←本シリーズ二冊目の惹句)で、良作であったが、現在のところ、これが本シリーズの最新刊で現状の最終巻。
 そろそろ8冊目が出て欲しいし、待ち望んでいるファンも多いとも思うが、作者の方はもうこのシリーズでやることはやり尽くした、みたいな思いがあるのかもしれない?
 一昨年にはノンシリーズの方で新刊が出たし、昨年は新作自体がナシだったしね。
 本作のクロージングは特にシリーズの締め、みたいな演出はしてないので、うっすらと希望は持ってはいるけれど。

 そーいや、今回はおなじみの呪文を沙羅は言ってなかったな。あと、人間全般に対する感慨も、いつもより濃い目に心情吐露されている。その辺が実は、シリーズ終了のサインだったりするのか? 

 評点は応援と新作期待の念を込めて0.3点くらい、おまけ。ちちんぷいぷい。

No.2026 5点 でぶのオリーの原稿- エド・マクベイン 2024/04/20 05:23
(ネタバレなし)
 その年の8月。アイソラ市の市議会議員で、今後の市長候補とも目されるレスター・アンダーソンが、講演のリハーサル中に何者かに射殺された。88分署の一級刑事で悪評で有名なオリー・ウィークスが初動で先に現場に来た特権で、この大事件の担当となるが、彼は現場に到着した際に車の中から、書籍一冊分の原稿の入ったアタッシュケースを誰かに盗まれてしまう。その原稿は、自分に物書きの才能があると自負していたオリーが、実際の捜査活動を下敷きに相応のフィクション要素を加味して書き上げた、警察小説形式の長編ミステリであった。レスター殺しの捜査を87分署の二級刑事スティーヴ・キャレラに事実上任せて、自分は大事な原稿の行方を追うオリー。一方、87分署には三級刑事バート・クリングの別れたかつての恋人だった二級刑事アイリーン・バークが、転属でまた舞い戻ってきた。アイリーンは、三級刑事アンディ・パーカーと組んで、麻薬売買の事件を追うが。

 2002年のアメリカ作品。
 87分署シリーズの第48番目の長編。評者はシリーズの流れでいうと40番台のものがほぼ未読。その辺は数冊しか読んでない。とはいえオリーの初登場作品(第28番目の長編『命ある限り』だっけ)は読んでおり、アメリカ警察小説版ドーヴァー警部が出てきた! みたいな当時の印象は、いまでもよく覚えている。
 今にして思えば当時のマクベイン、マルティン・ベックシリーズでいうなら、あの(日本でも、世代人のミステリファンに当時、超人気キャラだった)グンヴァルド・ラーソンみたいな、とんがった一匹狼風のサブヒーローを作りたかったんだろう?
(ちなみに本書の訳者あとがきで、作者マクベインは最近になってオリーを登場させた、とあるけど……いや、初登場から本作の時点で、すでに四半世紀経ってたよね!? 既存の長大なシリーズを全部読破してから新作の翻訳にかかってほしい、とまでは言わないにせよ、せめてメインキャラの基本情報くらいはマスタリングしてほしい。無策な編集者にも問題はあるが。)

 1950年代から活躍のキャレラはいまだ40歳。一方で湾岸戦争やら炭疽菌事件やらビン・ラディンやAmazonの話題やら出て来る不思議時空で、作者のその居直りっぷりには笑ってしまうが、まあこのシリーズはこれでいいのだ、というのは受け手万民の共通見識であろう?
 そんな傍らで『キングの身代金』や『大いなる手がかり』そのほかの旧作での事件の話題が出てくると、それはそれで嬉しくなる。かたや、読んでない分の作品のなかで、おなじみの某キャラクターがすでに退場していたらしいと初めてここで知って、軽いショックを受けたりもした。

 ミステリとしては、レスター殺人事件、奪われた原稿探し、そして麻薬事件の三つがモジュラー式に展開。中でもオリーの書いた長編小説の現物は、その一部が作中作として本文のなかにも登場し、作中の登場人物にも妙な影響を与える(これくらいまでは書いてもいいだろう)。
 とはいえ今回のローテーション主人公に据えられたはずの肝心のオリーの言動が、実際にはあまりはっちゃけず(そのことは訳者も残念がっていたようだが)、全体にどうも冗長。むしろフツーにちょっと変わった真相が明らかになる、レスター殺害事件の方が面白い。三つの事件がバラバラで終わるか、何らかの相関や錯綜があるかは、読んでのお楽しみで。

 で、東西オールタイムミステリ史上、屈指の(中略)キャラ、バート・クリングと、アイリーンみたいな元カノヒロインとの再会の図は、自分のような下世話なファンにはかねてより見せてもらいたかった趣向(本当は二代目ヒロインのシンディ・フォレストとの再会の図が見たかった。初代ヒロインのクレア・タウンゼントとは別の意味で、クリングと<再会>させてあげたかった~どういう形になるか具体案はこっちから出せないが)。
 で、ハラハラかつどこか悪魔的な興味で、両キャラの対面の成り行きを見守るが……いや、クリングかっこいい! 出会って付き合って半世紀近くになって、またちょっとスキになってしまったぜい。
 一方のアイリーンもヘイトキャラに貶めず、disったりもせず、マクベイン、大人だねえ、と感服。ここではソコまで書いておきます。
 
 作品全体としては、読む前の期待値の高さには、満足のゆくほどには応えてくれなかった一冊。キャレラの奥さんテディの描写などの細部で点を稼いだり、先のクリングとアイリーンの叙述などを加味して、そこそこ楽しめはしたけれど。

 あと、レスター殺しの殺害に関して現場の図面が入るけれど、これが真相の明かされる直前に掲載されてちょっと面食らった。セオリー通りに事件の起きた直後、捜査が始まったすぐあとの場面から入れておけばいいと思ったりもしたが、作者はそういう作法には無頓着なようで、たぶんこれって、単にいつもの87分署ものの恒例の、図版ものギミックの一環だったんだろうね?

 トータルとしては「まあ、楽しめた」なのでこの評点で。
 シリーズファンとしては、順不同のつまみ食いながら、読んでおいてよかった一冊ではありますが。

No.2025 8点 歌われなかった海賊へ- 逢坂冬馬 2024/04/19 05:10
(ネタバレなし)
 物語全体のスケール観とダイナミズムは前作と到底、比べるべくもないが、小説としての練度は、ところどころ更なる進化を感じたりした。
 物語全体の語り部役を担ったメインキャラも、人間の清濁の混淆の形成として造形されたあのサブヒロインも、とても見事に描出されている。
 ナチズムの狂気と残酷さは前提の上で、それにからむ主義思想やや善悪のありように多面的な相対化を行なった筆致も適切。
 凡人が何に戸惑うって、その悪人の愚かさと非道さの向こうに、また別のもの、が透けて見えたときである。この作品はそのことを改めてしっかりと語り伝える。
 
 フランツ、アマーリエ先生、シェーラー少尉がとてもきっちりとキャラ造形された一方、何名かやや記号的な文芸を感じたキャラがいたのは本当にちょっとだけ残念。フリーデの素性の設定なんか、悪い意味で物語的すぎるとも思った。一方で、それがこのストーリーに必要だったのは、言うまでもないのだが。

 過去編のクライマックス以上に、現代編のまとめのエピローグが応えた。前作も幕引きパートで得点を稼いだが、今回はそれ以上であろう。現代編の狂言回しクリスティアンの記憶に浮かぶあの人物のキャスティングで、この作品は結晶感も豊かに完成した。

No.2024 6点 邪悪の家- アガサ・クリスティー 2024/04/18 18:26
(ネタバレなし)
 1932年の英国作品(1931年に雑誌連載で初出)。ポアロ(ポワロ)ものの第6長編。

 先日、閉店した少し離れた方の近所のブックオフの店仕舞いセールスで、新潮文庫の『エンド・ハウス殺人事件』を50円で買ってきた。ポケミス『邪悪の家』は間違いなく持ってたと思うが、読んでいたようなそうでなかったような……。いずれにしろ、実質的に白紙の気分で最後まで読み終えた。

 翻訳は当時のベテランで1950年代から仕事をしている中村妙子女史だが、1988年に初版の新潮文庫版はこの時点での新訳のようで、とても読みやすい。
 ストーリーの進行は、定石の作劇にさらに補助線を引いたような安定感で心地よく読める。真犯人のバレバレぶりは異論はないが、隠された動機の方はなかなか面白い。
 ちなみに今回読んだ新潮文庫版では、本文のあとに読んでください、として、ある登場人物について叙述の不自然さを訳者の中村女史自身がしている。それに関しては、確かにそういえばそうだ。

 トータルでは出来はよくはない方の作品ということになるのだろうが、それでも読んでいるうちは楽しかった。nukkamさんのおっしゃる、深読みしすぎて~の件は、よくわかる(笑)。

 最後に、これまでの何人の方のレビューで<この作品は、別の巨匠作家のあの作品を想起させる>という主旨で、具体的な作家名と作品名まで引き合いに出して語っておられるので、事実上、そっちの作品のネタバレか、限りなくそれに近いものになっている。被害を受けたので(大泣)、これから過去のレビューをご覧になる方に、そのつもりでお読みくださいと、ここでその旨、警告させていただきます。

No.2023 6点 悪霊に追われる女- 鷹見緋沙子 2024/04/18 04:12
(ネタバレなし)
 28歳の平泉順子の夫は、小さな建築設計事務所の所長で、昔は彼女の大学時代の先輩でもあった、31歳の平泉洋治だ。だが順子の実家は大地主で、彼女は夫の収入に頼らず自分だけの巨額の財産を持っていた。夫の洋治のことは愛している順子だが、彼女は一年前から洋治の学友(親友)でやはり順子の先輩だった寺西研二と秘密の不倫関係を続けていた。そんなある夜、順子を乗せて寺西が運転する車が人気のない場所で、若い女を轢いた。寺西は順子を説き伏せて死体を隠すが、ほぼ一年後、周辺で白骨死体が見つかる。そして謎の脅迫者「白川保根夫」が寺西に巨額の口止め料を要求してきた。そして順子の周辺には、轢死されて骨になったはずのあの女の亡霊が出没する!?

 大谷・草野・天藤によるハウスネーム作家「鷹見緋沙子」の第9長編で、最後の著作。本作の実作は、大谷の筆によるものらしい。
 本サイトで鷹見名義、あるいは天藤名義などで登録のない鷹見作品を何か読もうと思っていたら、Twitter(現Ⅹ)でこれが評判良さげだったので、手にとってみた。
 
 本書の裏表紙には、路線を当初のパズラーから官能サスペンスに転換した作者の新作、といった主旨のセールストークがある。
 実際に美貌の若妻の不倫は本作の主題だが、実作者・大谷の作風か、予想される(?)こってりしたイヤらしさは希薄で、全体にサバサバした文章で話が紡がれた。いまの時点であえてジャンルを言うんなら、和製フランス・ミステリだろうね。
 
 結局はキワモノ、ゲテモノになるんだろうなと軽く見ていた部分もあるが、最後に明かされる真実で物語の構図が小気味よく変貌。なかなか面白かった。
 遡って考えれば、話が一部スムーズに流れ過ぎたきらいもあるが、まあ許容範囲。登場人物メモを取りながら、それでも2時間で通読できる佳作ではある。評点は7点に近い、この点数で。

No.2022 7点 明日訪ねてくるがいい- マーガレット・ミラー 2024/04/17 12:23
(ネタバレなし~たぶん・汗)
 南米の一角、サンタ・フェリーシアの町にあるデイヴ・スメドラーの弁護士事務所。そこに所属する25歳の新人弁護士トム・アラゴンは、卒中で半身不随の男性マーコーを夫に持つ50歳の女性ギリー・デッカーから依頼を受ける。その依頼内容は、8年前に当時15歳のメキシコ人の少女トゥーラ・ロペスと駆け落ちした、今は54歳になる前夫B・J(バイロン・ジェイムズ)・ロックウッドを、訳あって捜してほしいというものだ。ギリーはそれなりに資産を持つらしい。アラゴンは依頼人の情報をもとに、ロックウッドの手掛かりがあるらしい、はるか彼方の辺鄙な村バイア・デ・パレアナに向かうが。

 1976年のアメリカ作品。ミラー後期のシリーズもの、若手弁護士トム・アラゴンものの第一弾。
 創元から出たこのあとのシリーズ二冊分が割とそばに積読であるが、どうせならシリーズ一冊目からと本書を図書館から借りてきた(実は同じポケミスは大昔に購入したと思うが、例によって、蔵書の中からすぐに見つからない・汗)。

 本文200ページちょっとと薄目だし、後期のミラーの文章は歯応えを感じる一方、贅肉がなくて読みやすいのでサクサク、ページをめくれる。名前がある登場人物も、モブキャラを含めて30人前後と程よい感じ。

 しかし終盤まで物語の底が見えず、一方で事件またはそれらしいものは続発。一体これはどういう話なのかと思っていたら、最後でとんでもないサプライズが待つ。

 とはいえ<これ>はアンフェアではないかとも思いもしたが、考えると80年代後半~21世紀の我が国の新本格ならありそうな感じの大技で、そう思いを馳せると、首肯できなくもない。
(一方で、きちんと伏線を張ってあるところは、張ってある。)
 で、いったんそう肯定して何か所かページをめくり直すと、その引っかかったポイントの部分に、物語や登場人物の奥に潜むかなり昏いものが改めてまた浮かび上がって、読み手に深い実感を求めて来る。
 うん、これこそミラー作品。作者の狙いは、たぶんしっかりと堪能した。
 
 できるならミラーの初期~前期までの作品を何冊か読んで、作者の作風になじんでから手に取って欲しい一冊。
 評点は8点に近いこの数字で。

No.2021 8点 屍衣にポケットはない- ホレス・マッコイ 2024/04/16 07:23
(ネタバレなし)
 アメリカはオレゴン州のコルトン郡。地方紙「タイムズ・ガゼット」の青年記者マイク・ドーランは、大衆の公器という報道の使命を忘れ、儲け主義と事なかれ主義に走る編集長トマスに反発。退社して、自ら新雑誌「コスモポライト」を立ち上げた。友人で元同僚のエディ・ビショップや、いわくありげな美女マイラ・バーノフスキーたちスタッフの協力を得ながら、地元の腐敗を遠慮なく誌面で告発していくドーランだが、広告収入体制の弱さゆえの資金難、さらには外部からの圧力など、いくつもの難関が立ちはだかる。そして街の清浄を求めて現実の汚濁を訴えるドーランの情熱もまた、少しずつひずみを見せていった。

 1937年のアメリカ作品。
 本書を読む前に作者のほかの既訳の二冊を読んでおこうと思っていたが、結局、これがマッコイ作品の初読みになってしまった(ま、そーゆーのもよくあるコトだ)。
 評者がこの作品のことを最初に見知ったのは、半世紀前のミステリマガジンの連載、小鷹信光の「パパイラスの船」の中でのことだったような記憶がある。

 異性関係において相応に奔放だが、政情の汚濁には強い熱い義憤を抱く正義漢の主人公ドーラン……と書くと、もしかしたら、人間的にバランスの良い、遊びもこなすが根は真面目な陽性の熱血漢をイメージされるかもしれない。
 が、実際に本作の中身を読んでいくと、そういう受け取り方だと微妙にニュアンスが違う。いや、大枠ではその認識で決して間違いではないのだが、前半の正義感の暴走ぶりからして、この主人公はどこか(?)いびつである。

 だから(あまり書いちゃいけないが)中盤になってドーランが半ばやむなき事情からある種のダーティプレイともいえる行為に走ると(正義と大義のため? だが)、かえってそこでやっ
と、座りの悪い主人公の人間味を見いだせたような気分で、ホッとする。
 さらに物語の後半、ドーラン自身がある局面において、かなり印象的な叙述で、自分の行動の軌跡の是非を自問するが、そこでようやく物語全体にバランスが感じられるようになってくる。

 とはいえ、本作は、そんなほぼ全編について回るある種の居心地の悪さそのものが魅力的な作品でもあり、そんなザワザワ感が、スピード感のある筆遣いのなかでいっきに語られる。
 一作読んだだけでアレコレいうのも浅はかだが、これがマッコイの作風か?
 
 終盤の展開は(物語の決着点はもちろんここではナイショだが)、お話がちょっとでも横にぶれると空中分解しそうな危うさがあり(特に最後の取材対象の大ネタのあたりとか)、読み手の側もかつてない綱渡りめいた緊張感を味わった。
 エンターテインメント物語が読者を饗応するのとは別の意味で、独特のスリリングさがあった作品である。

 個人的にはかなり惹かれた作品だが、できがいいとか完成度や物語の結晶度が高いなどとかは口が裂けてもいえない。Amazonのレビューというか採点はものの見事に、諸氏の評価の高低の差が激しいが、それもよくわかる。しばらくしてから読み返したら、また違った顔を見せそうな作品。
 少しあとの時代の作家と比較すると、マッギヴァーンの諸作あたりと、ある部分で大きく重なり、またその一方で、別のある面で対極ともいえる文芸を感じさせる、そんな作品であった。

 なお題名は「ポケットに金を突っ込んでいても、死んだあと、あの世までには持ってはいけない(だからやることやるなら、生きてる内だよ、ってこと)」の意味。うん、最後まで主人公はおのれの望むままに生きて突っ走った物語であった(←ギリギリ、ネタバレになってないつもりだ)。

 評点は0.5点くらいオマケ……かなあ。素直に黙って8点あげたいとも思うんだけど、そういうつもりで評点しちゃうと、なんかウソになるような気がする。とはいえ、とにもかくにも、よく発掘翻訳してくれました。その事実を評点に勘案するなら、十分に8点だ。 

No.2020 6点 恋愛ゲーム殺人通信- 風見潤 2024/04/15 07:23
(ネタバレなし)
 1990年代の初め(たぶん)。編集プロダクション「UTAプロダクション」に勤務する26歳の女性編集者・宝生敦子は、同い年の翻訳家・加賀淳平の原稿を受け取る仕事の最中に、かつての勤務先「武蔵火災海上」の後輩で友人だった高瀬知美が急死したことを知る。知美は縊死による自殺と見なされた。だが敦子は、知美は機械にまったく弱かったはずなのに、当人の住居にワープロやパソコン通信用のモデムがあることに不審を抱いた。アマチュア探偵として動く敦子は淳平とも連携し、やがて意外な事件の真実が暴かれていく。

 文庫書き下ろし作品。『死んでも死ねない殺人事件』に続く、翻訳家探偵・加賀淳平シリーズの第二弾。ただし主人公は敦子の方で、作者はあとがきで彼女をシリーズキャラクターにする気がある旨、語っている。
 とはいえ実際にどうなったかは、評者はよく知らない。なんせ風見ミステリは、本書が初読みのハズなので(笑・汗)。
(もしかしたら大昔にソノラマ文庫の方の風見作品は、何か読んでいたかもしれないが、もし読んでいたとしたら、すっかり忘れている。)

 本作作中の記述が正確なら、刊行当時にパソコン通信の利用者は60万人。ネット文化がこれほど浸透した2020年代の現在ならお笑い種の参加者数だが、当時は急速成長する過渡期の文化で、関心を抱く初心者の数も、上向きに流動的だった。本書はそういう時代の一般読者に向けた技術ハウツーもの、という側面も大きかった、そんな長編ミステリのようである。
 当然、今となっては、そういう30年ちょっと前の文化事情を覗く意味で、面白さも感じる一冊となっている。
(評者も一応、当時からパソ通は利用していたが、ここで初めて知った&当時は知らずに通過した、機能や技術などもいくつか紹介されている。)

 ミステリとしては一応はフーダニットだが、犯人を隠す気はほとんどないような作り。むしろ、どのように犯行が形成されたかの謎解きの方が面白く、パソ通という作品の主題をちゃんと活かしてあるあたりには好感が持てる。
 赤川次郎風のライト級ミステリだが、その辺の練り込みようは大半の赤川作品の比ではないだろう(まあ、そういう評者も、引き合いに出した赤川作品は、たぶん100冊も読んでないけれど・汗)。

 早逝された水玉螢之丞先生のジャケットカバーのイラストが懐かしい。表紙の女性はヒロインの敦子なんだろうけど、設定では髪がショートカットなので、作者と編集者と水玉先生のコミュニケーション不足orミス? と思いきや、本文の挿し絵の敦子はちゃんとショートヘアである。表紙の方はカラー印刷なので入稿の締め切りが早くて齟齬が生じ、中味の方はちゃんと整合させられたんだね。
 冒頭から敦子の仕事の苦労ぶりを語る描写として、いかに短期間で一冊の本を作るかという逸話が語られるが、この作品自体、かなりピーキーな日程で本になったことが窺えた。

No.2019 8点 審判の日- ポール・アンダースン 2024/04/15 05:06
(ネタバレなし)
 地球人が外宇宙モンワイング星系などの友好的な異星人と接触し、授かった宇宙テクノロジーによって星間航行の技術を飛躍的に発展させた時代。男性クルーのみ300名の乗員とモンワイング星系からの使節タング人のラムリを乗せた宇宙探査船「ベンジャミン・フランクリン号」は、地球時間で3年ぶりに太陽系に帰還した。だが安息なはずの故郷=地球は人為的な謎の超大型破壊兵器の影響で壊滅し、死の星となっていた。月面や宇宙衛星の地球人も死滅し、フランクリン号のクルー、カール・ドンナンたちは、既存の銀河文明のなかに仮寓の居場所を求めながら<地球殺し>の犯人の真実を探ろうとする。一方、宇宙の別の場では、フランクリン号の一年後に地球を出発した女性クルーのみの宇宙船「オイローバ号」がやはり銀河文明のなかで生存の道を求めていた。

 1961年のアメリカ作品。
 日本人にも口当たりの良い本格SFを著することで知られる(という感じの印象が評者などにはある)作家ポール・アンダースンの、有名なSFミステリの名作。

 誰(銀河のどういう属性の異星人)が地球を滅ぼしたのか? また、それはなぜ? という壮大なフーダニット、ホワイダニットがセールスの、短めの長編(ハヤカワSFの銀背で本文190ページちょっと)。だが中身は濃い(叙述は旧作なので、ハイテンポで重厚さはあまりないが)。

『スタートレック』みたいに亜人種のヒューマノイド宇宙人が広大な銀河を席巻し、各自の母星や星系に独自の文明を築いている世界観(宇宙観)はオハナシの舞台としてわかりやすいが、そのなかで前述のスケールの大きいフーダニットの興味とは別に、宇宙の孤児となった二組の地球人たちがどう生きのびるか、そのあれこれの苦闘や異星人との駆け引きも眼目となる。
 その辺のSF的なバランスもかなり多めで、悪い意味でミステリ要素だけに寄りかかったSFミステリではない。ちゃんとSFであり、同時に変化球の設定の本格的なミステリになっている。

 真相については、あれこれここで言うのはもちろん控えるが、全体の4分の3あたりのところで「(中略)」との想念が湧き、そして本当のクライマックスで「ああ……!」と軽く息を呑んだ。そこに持っていくまでの伏線というか、読み手にちゃんと思考が動く布石を張ってあるのもお見事。確かに、そうなんだよな。
 そして真相の発覚のあと、物語世界がやがて迎える未来に向けてその暴かれた真実から連鎖してゆくあたりは、SF文明論の醍醐味(それも結構な風刺の効いた)であって、なるほどこの中身のつまったコンデンス感は並々ならぬものがある。連続テレビドラマ化したら「画」になりそうな名場面も多く、これは噂通りの優秀作、といっていいであろう。
 若干、思っていたよりずっと多層的な構造の作品だったので、そのことに戸惑いを感じないでもないけれど、作者の着地点がこれで正しかったことは納得できる。
 
 実を言うとアンダースン作品、これが初読みなんだけれど、あのキャラクターが客演の『タイム・パトロール』ほか面白そうな作品が題名を知っているだけでも数作あるんだよな(すでにちょっとは購入してあるが)。
 50~60年代の旧作海外SF好きとしては、少しずつ楽しませていただくことにしましょう。

No.2018 7点 明日こそ鳥は羽ばたく- 河野典生 2024/04/14 06:58
(ネタバレなし)
 1974年の後半。ジャズミュージシャンの鷹取幹夫は、インドから帰国した画家・林が現地で撮影して録音した記録映像に接して驚く。その映像のなかでは現地の少年が、鷹取の忘れじのメロディ「鳥」を楽器で演奏していた。それは、4年の間、消息不明な、現在は24歳になっているはずの異才の若手トランぺッター「ジョー」こと混血児の澤村丈治が作曲した旋律だった。鷹取はインドに向かい、現地の人々の証言からジョーの行方を追うが、そんな彼の前には多くの人々との出会いとそして現在のインドの現実が待っていた。

 第二回角川小説賞受賞作。初出は「野性時代」の1975年3月号での長編一挙掲載だが、その後、クライマックスを相応に改稿・増量されてハードカバーで同年の秋に書籍化された。評者は今回、その元版のハードカバーで読了。

 主人公の鷹取が出会う人々の芋づる式の証言を主な頼りに失踪したジョーの行方を追う物語は、まさしく私立探偵小説の定法に近しいが、追いかけるキーパーソンのジョー自身には直接の事件性や犯罪性などは皆無で、もちろん狭義のミステリではまったくない。
 ただし先に書いたように手法的、作劇的に失踪人捜しのミステリを思わせる形質の作品で、劇中で鷹取は異国の地で知り合った英国女性のヒロインから「フィリップ・マーロウ」に二度もなぞえられる。真っ当なミステリでは決してないが、その程度にはミステリというカテゴリと接点のある作品として、本サイトで拙い感想を語らせていただく。

 結局、作品のカテゴリとして確実にそういえるのは音楽小説(ジャズ小説)であり、インドを舞台にしたロードムービー風の紀行小説であるし、さらに当時のインドそのものと日本を含む諸国との対比までを視野に入れた文明論ノヴェルといえる。
 ああ、あと重要な側面として、何より、ジャズを愛する河野典生流の完全なハードボイルド小説。ジョーを追う鷹取の執着は執拗で強靭だが、ジョーの音楽性、そしてメロディ「鳥」の中にどういう情感やサムシングが潜むのかは、実はほとんど明確な言葉では語られない。それを読み取るのも、受け手それぞれの音楽的素養の中からイメージを組み立てるのも、無言で読者に託される。この突き放しようがハードボイルドでなくて、なんであろう。じわじわと効いてくる。

 ストーリーテリングの面白さとしては、いくつか読み手を飽きさせない工夫があるような気もするが、その辺も実はエンターテインメント的なサービスで用意したツイストというより、鷹取のジョー捜索の行状の上で、作者がしかるべき試練を主人公に与えた感じ。小説の文芸としての必然の方を感じたりする。

 ちなみに評者はジャズがまったくわからない人間で(というかロクな音感があまりない)、何回か名前が出て来るジョー・コルトレーンくらいはさすがに知ってるが、実のところソレも80年代のとり・みきの漫画を介してとかの知識だよ。もちろん、マトモに音楽として楽曲を聴かせてもらったことなんか一度もない。
 ただしそれでも自分なりに、心に響く重さは(ちょっと以上は)確実にあったとは実感できる一冊なので、それは純粋に、作中で語る主題の如何を超えた<作品の力>だと思う。
 もちろんどこまでも昭和、1980年代という時代性はついて回ってる中身だとは思うものの(インド国内の文明度や産業力って、このあとの20世紀の内から、大分変ってると思うし)。

 2020年代の現在、ジャズファンが本作をどのように読んでどのように捉えるかまったくわからないけれど、もしもジャンルの素養がある人が本作を手にとったとき、良い手ごたえの接点を感じてくれればいい、とは思う。

No.2017 6点 殺人は競売で- カーター・ブラウン 2024/04/13 11:04
(ネタバレなし)
 二年前に北京博物館から盗まれた、7世紀(唐時代)の美術工芸品の瓶子(へいし=酒を入れる容器)。鳳凰の装飾がある何万ドルものその品は、現在はロンドンの美術商ビル・ドナヴァンの元にあった。ドナヴァンは世界各地の美術コレクターにひそかな案内を送り、オークションでの高額落札者に品物を譲ろうとする。だが謎の人物がその参加者たちを脅迫し、品物への入札から手を引かせるよう暗躍していた。「僕」こと私立探偵ダニー・ボイドは「オバーン美術品店」の二代目社長で若い美人のシャロン・オバーンの依頼を受け、彼女の身の警護と落札が叶った暁の際の、品物の護送の任務を請け負った。ボイドは依頼人とともに、ロンドンに向かうが。

 1965年のクレジット作品。ミステリ書誌サイト「aga-search」によればダニー・ボイドものの15番目の長編。未訳のものを含めれば長編だけで32冊あるらしいボイドの事件簿だが、日本に紹介された中ではこれがいちばん最後の登場長編となった。ちなみに原題は「CATCH me A PHOENIX!」で、「不死鳥を捕まえて」。キーアイテムの装飾の鳳凰を、不死鳥とごっちゃにしてるらしい。厳密には別ものだよね?

 ボイドものでは珍しい海外への出張編だが、荒事師とやり合う活劇場面も従来より多い感じで、今回の作劇はアクション主体(とキーアイテムの争奪戦)に舵を切ったか? と思いきや、中盤で、ちょっと読み手のスキを突く感じで殺人事件が発生。例によっての一応以上のフーダニットの趣向が用意されている。
 お宝の奪い合いというメインプロットに関して、誰が最後に笑うか? のシーソーゲームがなかなか面白い(刊行当時としては、まだ、たぶんちょっと目新しかった? お宝の盗難予防策が登場している)。その一方、終盤の真相に向けてサプライズのネタもいくつか盛り込まれ、その意味でもそれなりに良い出来。ただ、評者の印象としては、前面に出た争奪戦の活劇の興味がいちばん大きかった。ゲストヒロインでは素直な正統派の美人キャラじゃないんだけど、ドナヴァンの実妹でクセの強いグラマー美女ローラの存在感が大きい。ボイドと成り行きから妙な連携を見せて、味のある芝居を見せる。

 翻訳家はカーター・ブラウンの担当としては珍しい方の尾坂力だが、ボイドの一人称「僕」は似合わないな~という思いが強い。ボイドもの定番の「おれ」にしてほしかった。ボイドものの中では、中の中くらいの出来。
 あと、ボイドが美人秘書のフランとしばらく寝てない(これまでは時たま、同衾している)、という主旨の述懐を胸中でするのは、ちょっと興味深かった。こういうあからさまな叙述って、実は私立探偵小説の中でも、意外に少ないんじゃないかい。

No.2016 8点 大空港- アーサー・ヘイリー 2024/04/12 20:05
(ネタバレなし)
 1968年1月。その夜、イリノイ州のリンカーン国際空港は雪嵐に見舞われていた。記録的な降雪の影響で、空港最長の滑走路「スリー・ゼロ」に旅客機が停車し、動かなくなるというトラブルのなか、44歳の空港長メル・ベーカスフェルドは当該の件を含む複数の難事に対応。だがそんなメル自身も実は、妻シンディや義兄で「トランス・アメリカ航空」の旅客機機長ヴァーノン・デマンストとの間に、悩みの種を抱えていた。そんななか、メルたち空港のスタッフは空港を離陸した欧州行きの旅客機内に、爆弾が積み込まれている可能性を認めた。

 1968年のアメリカ作品。
 いうまでもなく、20世紀アメリカ・エンターテインメント小説作家界の巨匠アーサー・ヘイリーの代表作。文庫版の上下二冊で二日かけて読了。元版は1970年のハヤカワ・ノヴェルズ版。

 悪天候による旅客機離着陸の不順とその対処、巨大旅客機の整備と保全、航空管制、タダ乗りとその対策、空港スタッフの抱える種々のストレス、騒音公害、その被害に関してカネを儲けようとする弁護士、JFK暗殺事件の後日譚、航空保険、恋愛と不倫と妊娠、墜落事故、そして爆弾騒ぎ、機内の医者先生……と、正に<航空業界を舞台と主題にした社会派&ヒューマンドラマ娯楽小説>の、その関連ネタのデパートのような内容。
 そしてその上でスゴいのは、そういった大量のネタの相互の錯綜、絡ませて有機的に発酵させる書き手の作劇や構成の手際である。

 いやまあ、たしかに執筆から半世紀経った現在としては、もはや「王道!」と言い切れるものも大半ではあるのだが(クライマックスの一大サスペンスのシチュエーションの組み立て方など)、たぶんこの手の作品の源流となったものも、本作の中にはいくつかあるんじゃないかと思う。そのくらい、てんこ盛りで特上上乗せのサービス精神がすごい。
(主要キャラは魅力的な連中が多いが、中でも、無賃飛行常習犯の「ネコ婆」クォンセット夫人と、作品後半に意外なもうけ役となる、デマレストの脇のあのキャラが特にスキ!)

 で、十二分に面白い一大エンターテインメント絵巻ではあったが、ネットで知ったところによると(←今風に言う「聞くところによると」じゃ)、この早川の翻訳本(元版とその文庫版~他にはないはず)は悪訳・誤訳の見本市で、何千何万という翻訳小説本の中でも最高級にえーかげんな、翻訳&編集仕事の中身だという(え~!?)。
 とはいえ評者は鈍いのか、ところどころ引っかかったものの<ソコまで>ヒドい翻訳だとは思わなかった? まあ、原書と比較して読んだわけではないので、その辺はね(日本語の国語としてもおかしい箇所も、いくつか指摘されてるが)。

 気になったのは訳者あとがきが、上下巻の二冊ものなら通例下巻の巻末にあるところ、上巻の巻末に据えられていたりしたことだが、これに関しては二人の訳者が上下巻でほぼ分担して(厳密にはきっちり上と下の分業ではないようだけど)翻訳作業を実働し、中盤で訳者が交代する旨、読者に向けて上巻の最後で断ったということだから、まあ、そういうのもアリかな? 程度のもの。 
 かたや、悪い意味で「アレ」と思ったのは、実質的な主人公のメルが下巻の会話文のなかでいきなり一人称に「わし」を使い出したりすることで、なんじゃこれは? であった。こーゆーのは訳者の連携もそうだけど、いわゆる「編集者不在」もいいとこだと思う。
(どーも常盤&太田時代のハヤカワって、今の目から見るとダメさが目につくな。少年時代の信奉の念が21世紀になってから、逐次、揺らいでいく。)
  ネットでもちょっと検索すれば識者の方が、具体例を丁寧にあげて悪訳ぶりを指摘・説明しており、素人のこちらはその見識に異論を挟む余地はない。
 
 ただしソレでも、作品そのものはべらぼうに面白かったという自分の評価に揺らぎはない。
 80年代のジャンルミックス型作品<ネオ・エンターテインメント>の源流のひとつは、まちがいなく本作だと思う。筒井康隆も「みだれ撃ち涜書ノート」の書評のなかで、アーサー・ヘイリー作品のなかの「面白い」部類に入れていたのを思い出す(雑誌「(新)奇想天外」の連載時に読んだのみだから、記憶違いかもしれんが)。

 だからできるなら今からでも、信頼のおける翻訳家に新訳を出してもらえばイチバンよいと思うんだよね。20世紀の新古典エンターテインメントとして、今後も読み継ぐ価値は十分にある作品だと思うぞ。

No.2015 6点 ニャロメ、アニメーター殺人事件- 辻真先 2024/04/10 05:57
(ネタバレなし)
 20世紀末(たぶん)の東京。食うに困って、意に沿わないアダルトアニメの作画仕事を受けていた若手アニメーター・五十嵐玄也は、発注先のアニメ製作会社が倒産し、途方にくれる。そんな彼に声をかけたのは中堅アニメ製作会社「早見企画」の社長・早見三樹雄だった。早見の娘で美人の安芸朝夜(あき あさよ)にトキメキを覚えながら、玄也は早見の指示するままに新作アニメの企画書で、往年の人気アニメキャラクターたちをダミーのメインキャラに据えた「探偵王ニャロメ」を完成させた。自由な形式で書かれたその企画書は、一本のマトモな、しかしいささかぶっとんだ謎解きミステリでもあった。企画書「探偵王ニャロメ」の作中で殺人事件を追うニャロメ。だがその一方で、現実の世界でも殺人事件が!?

 二十年近く前に古本で買っておいて(426円の値札がついてる。消費税の過渡期とはいえ、中途半端な値付けだ?)そのうち読もう読もうと思いつつ、月日が経ってしまった一冊(毎度おなじみのパターン)を、このたび一念発起して読了。

 メタ的な側面で「探偵王ニャロメ」作中のニャロメは、おなじく既成のアニメキャラたちが客演する辻作品の旧作『アリスの国の殺人』の世界観と、今回の物語世界がリンクしているという主旨のことを口にする。そういう路線の作品という属性もある。
 2000年の作品で、すでに日本のアニメ界には『エヴァ』も『ポケモン』も『もののけ姫』も登場している時節であり、あとの二つのタイトルは本書の作中にも実際に出て来るが、あくまでメインとなるのは辻先生本人がシナリオの執筆に関わった、60~70年代の旧作アニメばかり。その辺は、意識的に、しっかりとした縛りになっている。

 メタ的な趣向はてんこ盛りの作品で、正直、読んでいて感想(これはオモシロイと思ったり、なんだ生煮えだと嘆いたり、ときに腹立ったり)のゲージが、メチャクチャ上がったり下がったり、であった。
 随所で、あー、狙いは面白いのにこなれは悪い、いつもの辻ミステリ……との感想が喉まで出かかったが、最後まで読んで、まあまあ悪くなかった……佳作? くらいには評価が上がる。作者がいろいろ好き勝手やりまくったことは、ほぼ全面的に肯定したい。

 なお自著において「~殺人事件」のタイトリングは基本的にスーパー&ポテトものでしかやらない作者だが、今回はあえてその禁を破った。しかしそのことについてしっかりあとがきでエクスキューズしている律義さに笑って、微笑む(←今回はこのふたつはちょっとニュアンスの異なる行為)。
 この時点ですでに辻先生、自分をもう老人だのいい年だのと自嘲していた。それから24年、我らの巨匠はいまもご壮健である。
 怪物作家、どうぞいつまでもお元気で(←池田宣政リライト翻訳版『八点鐘』のオルタンス風に)。

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人並由真さん
ひとこと
以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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アガサ・クリスティー(15)
高木彬光(13)
草野唯雄(13)
アンドリュウ・ガーヴ(11)
ジョルジュ・シムノン(11)