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小原庄助さん
平均点: 6.64点 書評数: 260件

プロフィール高評価と近い人 | 書評 | おすすめ

No.260 7点 メキシカン・ゴシック- シルビア・モレノ=ガルシア 2024/01/22 08:28
舞台は一九五〇年のメキシコ。資産家の娘ノエミのもとに、イギリス人のヴァージル・ドイルと結婚した従姉のカタリーナから手紙が届く。その文面によると、カタリーナは夫に毒を盛られているのみならず、屋敷内を彷徨う亡霊に脅かされているというのだ。従姉のみに何が起きているのかを確認するため、ノエミはドイル家の人々が住む人里離れた「山頂御殿」へと赴く。そこはヴィクトリア朝様式の古風な建物であり、住人たちも異常なほど窮屈な規則を守りながら暮らしていた。やがてノエミは、この屋敷で過去に起きた忌まわしい出来事を知る。
陰惨な大建築、そこに住む因習の一族といった道具立ては、歴代のゴシック・ロマンスの名作と共通する要素だ。しかし、英米のゴシック・ロマンス的な道具立てを、そっくりそのままメキシコという地に持ち込むことで、そこには別のニュアンスが生じる。メキシコは長きに亘って植民地だったが、ドイル一族は旧時代の記憶に固執する白人至上主義者であり、先住民の血を引くノエミに差別的態度を示す。また、ヴァージルの父のハワード頂点とする彼らは家父長制の権化でもあり、この二つの思想がより合わさったような邪悪な企みを秘めている。彼らの慇懃無礼な圧迫を受けつつ、ノエミがその企みをいかにして暴くかが本書の読みどころであり、シャーロット・パーキンス・ギルマンの「黄色い壁紙」を踏まえたゴシック・ロマンスのフェミニズム的再解釈の試みとなっている。

No.259 7点 渚の蛍火- 坂上泉 2024/01/22 08:07
真栄田太一警部補は、琉球警察の本土復帰特別対策室班長の任についている警察官だ。本土復帰の日が迫ったある夜、真栄田は上層部から呼び出しを受ける。本土復帰に伴う円ドル交換のために、沖縄内のドル札を回収していた銀行の現金輸送車が襲撃され、百万ドルが強奪される事件が発生したという。日本政府は円と交換したドルを欠損することなくアメリカ側に引き渡す約束をしている手前、履行できなければ外交問題に発展しかねない。そのため上層部は、真栄田たち特別対策室の面々に極秘裏に強奪事件の犯人と奪われたドルの行方を捜査せよと命じる。捜査の期限は五月十五日、本土復帰の日だ。
地に足の着いた捜査小説のプロットに、任務遂行型の冒険小説でよく使われるタイムリミット型サスペンスの要素を加えた点が特徴である。しかも真栄田達の捜査は、日本政府はもちろん、沖縄に駐留している米軍に内容を漏らしてはいけないという制約もある。返還前に沖縄という歴史的状況が、刑事たちが捜査を行う上での枷となって緊迫感を生み出しているのだ。
真栄田太一は沖縄出身ではあるが学生時代に東京の大学に留学しており、琉球警察に入った後も警視庁に出向していた経験を持つ。そのため琉球警察内部では彼を快く思わない者たちがいた。こうした周囲の目に晒される中で真栄田の心に芽生えるのは「自分は何者か」という問いである。
捜査小説として、かなり入り組んだ構造を持った真相が提示される点にも着目したい。犯人の行動は一見すると無茶にも思えるのだが、それも沖縄の混沌を背景にすると、この上ない説得力と切実さを持ったものとして受け止めることが出来るだろう。歴史に翻弄された人間の物悲しい背中がそこにはある。

No.258 7点 ハロー・ワールド- 藤井太洋 2023/12/21 08:32
主人公は、専門を持たないエンジニアの文椎。タイトルの「ハロー・ワールド」とは、一番初めにプログラムで書かせる文字列のことだ。
表題作の「ハロー・ワールド」で、文椎はブランケンといいうiPhone用広告ブロックアプリを作る。他のアプリと比べて性能が勝っているわけでもないのに、順調にダウンロード数は増えていく。特にインドネシアでの売り上げが高い。そこそこの実績しかないエンジニアが作ったアプリが、遠い海の向こうにいる人たちの人生を変えてしまう。一連の出来事をきっかけに文椎が遭遇する未知の世界は、インターネットの自由を脅かす世界だ。大きな力を持たない個人が抑圧から逃れるのは難しいが、技術者としてできる限りのことをするところがいい。
「五色革命」は、反政府組織の大規模デモによって封鎖されたバンコクで文椎は事件に巻き込まれる。言論や情報を統制する社会が貧しいとは限らない。圧政から解放されたはずなのに、以前よりも人々の暮らしぶりが悲惨になったいる国もある。自由とは危険を冒してまで手に入れる、もしくは守る価値のあるものなのかと考えさせられる。「巨像の肩に乗って」では、ツイッターにまつわる考察が興味深い。最初は革命的に思えたものもいつの間にか権力に取り込まれるという閉塞感を越えて、文椎が最後に至った境地が爽快だ。

No.257 7点 私のハードボイルド 固茹で玉子の戦後史- 評論・エッセイ 2023/12/05 08:48
著者が、高校から大学時代にかけて、映画や小説でアメリカ文化を吸収して、その中から同時代文化としてのハードボイルドを選び取っていく過程は、戦後特有の熱気を背景にしているだけに興味深い。推理小説誌がチャンドラーの代表作を紹介し、性描写や暴力描写が売りもののミッキー・スピレーンの選集が登場、読書会を席捲する経緯が丹念に跡付けられる。
ハードボイルドという言葉を初めて活字にしたのは、映画評論家の双葉十三郎であることも立証される。それまでにも、海外の雑誌でハードボイルドという単語に接し得たはずだが「固茹で玉子」という原義通りに受け取り、新しい分野とは、考えなかったと思われる。
始祖のハメットをアンドレ・ジイドが激賞したという事実は有名で、日本のハードボイルド輸入にお墨付きを与えたようなものだが、当初伝えられた発言そのものは海外の雑誌に掲載された架空会見記によったもので、実際のインタビューと勘違いしたものという。このあたりの重要な考証は綿密で精彩を極め、資料を重視する著者の姿勢が発揮されている。
情報過多の湿っぽい雰囲気が支配する日本の文芸に、きびきびした行動性と乾いた文体を導入したハードボイルド。その意義を改めて認識させる回想録でもある。

No.256 6点 松本清張の葉脈- 評論・エッセイ 2023/11/18 11:18
まず、清張の朝鮮での兵隊体験を、丸山真男の同時期の同じ兵隊体験と比較検討するところから始めている。高等小学校卒で学歴差別を受けていた清張の被差別者としての軍隊体験が、普通の人の兵役体験とは大きく違っていたことはよく知られている。しかし、それを東京帝国大学の助教授で、平時なら権力の側に組み込まれることが約束されているエリートの丸山真男の兵隊体験と対比して分析する試みは、実に新鮮で面白い。
続く第二部は、清張の膨大な業績を「フィクション・ノンフィクション・真実」、「証言・偽証・冤罪」、「社会派推理小説・自殺・失踪」、「美術・真贋・史伝」という独特の四つの切り口で分析している。清張の小説に自殺や失踪が多いことを当時の自殺統計と関連付けて論じた点など、興味深い指摘も多いが、総じて第二部は第一部に比べてやや論理的な飛躍が多く、説明が不十分で説得力に乏しい部分がある。
このような不満は残るものの、清張のフィクションとノンフィクションを往復する独自の方法や大衆性に疑問を投げかけるなど、著者独自の刺激的な問題提起が含まれており、ユニークな清張論になっているのだ。

No.255 7点 アガサ・クリスティーの大英帝国- 評論・エッセイ 2023/11/18 11:04
本書は観光と都市の歴史研究の専門家でミステリファンでもある著者が、クリスティーの生涯と大英帝国の盛衰をたどりながら、名作の魅力の源泉を「観光」と「田園と都市」というユニークな切り口で浮き彫りにした評論である。
ポーの世界初のミステリ「モルグ街の殺人」が発表された一八四一年は、トマス・クックが鉄道による団体ツアーを組んだ観光元年でもあったという。だが、ポーはパリを舞台に名探偵デュパンを活躍させたが、コナン・ドイルも名探偵ホームズを旅に出してはいるが、もっぱら仕事のためで観光ではないと著者は指摘する。
その点「そして誰もいなくなった」をはじめとするクリスティーの名作は、観光ミステリと都市と近郊の田園を舞台にした作品が多いのが特徴で、それが独特の魅力にもなっていることを、具体的に長編六十六作をもとに分類し、鮮やかに分析してみせる。
謎と恐怖を主題とするミステリの評論研究はともすると、トリックとか意表を突くプロットの分析に偏りがちだが、著者はそういう点は十分に理解した上で、クリスティーの魅力の全体像を、乱歩のいう「謎以上のもの」の分析を通して教えてくれるのだ。ミステリへの愛が行間ににじみ出ている好著である。

No.254 8点 カササギ殺人事件- アンソニー・ホロヴィッツ 2023/10/28 08:36
一九五五年、サマセット州のある村で、パイ屋敷の家政婦メアリの葬儀が行われた。当主夫妻が海外旅行中に、メアリは密室状態の屋敷で階段から転落死したのだ。彼女の息子ロバートが村人から疑われたが、動機を持つ人間はほかにも大勢いた。ロバートの婚約者から真相解明を依頼された探偵アティカス・ピュントは、それを一旦は断る。自身に死期が迫っていることを知っていたからだ。しかし、パイ屋敷で新たな惨劇が起きたと知り、これが自分にとって最後の事件になることを予感しながら腰を上げる。
というあらすじから察しが付く通り、この作中作はクリスティーの世界を彷彿させる。一章ずつ視点人物が変わる構成も、誰も彼もが怪しい関係者たちの描写もクリスティー的。このいかにもイギリスの古典本格ミステリ調の世界に浸りながら読んでいると、目が点になるような文章で上巻が終わり、下巻に入ると最初のページで呆気にとられることになる。その先はまさに怒涛の展開で、作中作の謎と現実に起きた事件の謎が絡み合いながら解明されてゆく。
全編に張り巡らされた伏線も本書の大きな読みどころだが、特に強調しておきたいのは、終盤の謎解きパートに突入した時、思い出せないような伏線がない点だ。しっかり読者の記憶に残るような形で登場させておきつつ、それを伏線だと気づかせない超絶技巧が味わえる。

No.253 6点 ハメットとチャンドラーの私立探偵- 評論・エッセイ 2023/10/09 06:50
ロバート・B・パーカーはスペンサー・シリーズの作者として知られているが、ハードボイルド小説の研究家としても有名である。
ハードボイルド探偵に「純の純なるアメリカ人」の姿を見出すという視点は、現在ではさほど珍しいものではないが、この論文が発表された当時としては目新しいものだった。これはハードボイルドの熱心な読者でもあり、なお且つアメリカ文学に少なからぬ興味を抱いたパーカーならではの着眼点というべきだろう。
この論文の随所に見られるアメリカ文学からの引用やアメリカ社会に反映されているものが多い。とりわけアメリカ社会に対する見解には卓越したものがあり、その視点が実作者としてのパーカーを位置づけているといっても過言ではない。

No.252 5点 日本探偵小説論- 評論・エッセイ 2023/09/22 12:20
日本の探偵小説を、それ自体の流れだけで考察することには、あまり意味がない。著者は江戸川乱歩の次に川端康成を論じ、地味井平造や大阪圭吉に続けて、内田百聞や谷崎潤一郎を論じる。また小栗虫太郎の人外魔境ものや橘外男の満州ものの延長線上に、ポストコロニアル小説として、川端康成の「雪国」や林芙美子の「浮雲」を取り上げる。日本の探偵小説という枠組みを、思い切って広げて見せたのである。
ただ、あまりに多くの作家、作品を取り上げたために、一人の作家、一編の作品については、やや論述の物足りなさを覚えないこともなかった。尾崎翠、村松梢風、花田清輝、野口赫宙などの作家や、戦時下のいわゆる「暗黒時代」の探偵小説作品にも、もう少し具体的に触れて欲しかった。それにしても、日本の近代文学の本質を十年前後という時間の中に凝縮して見せた批評の力技は、ただ感嘆する以外ないのである。

No.251 6点 清張とその時代- 評論・エッセイ 2023/09/22 12:08
清張が私小説の手法を得意分野とせず、もっぱら実生活とかけ離れたエンターテインメントの創造に興味の中心を向かわせていたのは間違いない。ではあるが、数は少ないが「父系の指」という私小説、あるいは自叙伝「半生の記」、エッセーなどに彼の本音が垣間見える。著者はこれらを詳細に読み込み、清張の本音が純然たるフィクション、いわば彼の十八番の仕事にどういう形で反映されてきたのか、検証するのである。
それだけではなく、実際に清張が生まれてから亡くなるまでの時代背景を見つめ直す。つまり個人史だけではなく、もっと大きな歴史の中に清張を置くことによって、この作家が大成した謎に迫ってもいる。
下積み時代を長年経てきた人が、どのようにして偉業を成し遂げ、人生の完成形を極めてきたか、その謎を探る本でもある。

No.250 7点 シャーロック・ホームズの科学捜査を読む- 事典・ガイド 2023/08/11 08:15
各章が、ホームズ作品のエピソード、それと関わりを持つ特定の操作技術、そしてその技術を生み出す契機になった、あるいはそれが適用された有名な事件の物語という三つの部分から成り立っている。例えば「別人になり切る」では、ホームズが変装の名人だったことを想起したうえで、彼の捜査に影響を与えたフランス人で、やはり巧みに姿を変えたヴィドックの「回想録」に話が進み、さらに変装した犯人を見破る刑事の活躍が語られている。
また「有罪の確証」では、「赤毛組合」の依頼者が手首に中国特有の刺青をしているという記述から出発して、犯人を固定する技術の変遷をたどる。まず、当時の新しい技術である写真が活用され、次にパリ警視庁のベルティヨンが人体測定法を考察し、それが指紋による固定に取って代わられる顛末が語られる。犯罪の歴史は、それを捜査する科学知識の発展の歴史をも浮き彫りにしてくれるのだ。
その他に毒物学、血痕判定など、現代の犯罪捜査にもつながる興味深い話題が満載。犯罪実録ものを読む楽しさと、法医学を通じて社会の変化を知るという知的欲求が同時に満たされる。

No.249 5点 江戸怪奇標本箱- 藤巻一保 2023/07/24 07:05
怪談には人の恨みの物語が多く、またそれが好まれもするのだが、この作品には、そうしたドラマは少ない。悲しい因果をはらんだものは出てくるが、それは霊魂の器となるもののバリエーションの一つとしての収録である。
だが、カタルシスをもたらすようなドラマはなくとも、怪しいものたちの不思議な逸話や因縁を語ることは、物語るということの原風景に近いはずだ。作者は、いたずらに合理的な説明をしてものの不思議さや魅力を損なうようなことはしない。かといって神秘を説こうとするわけでもない。
そして、江戸の見世物小屋で見られた干魚など生臭ものを集めて作った仏像にうかがわれる「善悪ひっくるめた業の肯定」が、こうしたものたちにはあるという。見世物小屋のように、人の業から珍物、奇物が次々と生み出され、無限に増えてゆく。怪奇なものの多彩さは、人の業のバリエーションにほかならないのだ。その意味では、やはり人間のドラマなのである。
作者の興味は、この種の話を膨大に書き残した江戸の好事家たちの心と響き合っている。一見は悪趣味とか無意味と見える仕事こそ、人間への深い関心に根ざしているものなのだ。

No.248 5点 呪文- 星野智幸 2023/07/05 09:18
舞台は、東京の某私鉄沿線がモデルと思しき松保という名の商店街。理不尽なクレーマー騒動を逆手に取って、松保商店街組合の若きリーダーである居酒屋店主・図領が、若者に人気に隣駅に押され世代交代もうまくいかずに寂れかかっていた商店街の復活を企てる。
章ごとに複数の登場人物の視点を切り替えることによって、この小説は何の変哲もない平凡な街で、取り返しのつかない状況が刻々と進展し、拡大してゆく様を臨場感たっぷりに描いている。ここでの「正しさ」を支えているのは、理想や希望と呼ばれているものである。当然のことながら、これらには誰もが抗い難い。理想も希望も枯渇していると思われているなら尚更である。真のディストピアは、ユートピアの仮面を被っている。
だが作者の目論見は、救世主や英雄と思われた者が実は悪魔の手先だった、という寓話的な仕掛けには留まらない。この小説のタイトルに冠された「呪文」という語は、具体的には後半に出てくるあるスローガン、合言葉、託宣のことだが、むしろ焦点は呪文にあっけなく憑依される弱さを、呪文を口にすることで得られる強さと勘違いをすることの怖さ、恐ろしさである。日本社会に潜在するネガティブなエネルギーが充填されている。

No.247 7点 乗客ナンバー23の消失- セバスチャン・フィツェック 2023/06/14 08:12
囮捜査官のマルティンは、五年前に大西洋横断客船(海のスルタン)号で妻と息子を失っていた。ところが、二カ月前に姿を消したアヌークという少女が、マルティンの息子が持っていたテディベアを手にして忽然と船内に現れたという。マルティンは船に乗り込むが、船内では奇妙な事態が進行していた。
本書はマルティンだけでなく、複数の人物の視点が目まぐるしく切り替わる構成だが、アヌークの母親は何者かに監禁されて罪を告白するように強いられているし、泥棒は船員の悪事を目撃して危機に陥るといった具合に、船内のあちこちで事件が同時多発的に進行するため、出来事の全体像がなかなか見えてこない。特に、章の切れ目で何が起きたかを伏せたまま、異なる視点人物が登場する次の章へと移行してサスペンスを盛り上げるテクニックが効果を上げている。
帯の惹句に「事件解決? そう思ってからが本番。」とあるように、混迷を極めた事態がようやく収束に向かう終盤は、予想もしない方向からのどんでん返しが連打される。あまりに数多くの事件が起きるので、読み終わる頃には読者がすっかり忘れていそうなエピソードが、常識はずれの箇所で説明されるあたりも、著者らしい凝り性ぶりの表れと言えそうだ。殺伐とした印象が強いわりに後味は案外悪くないので、幅広い読者層にお薦めできる。

No.246 8点 黒牢城- 米澤穂信 2023/05/19 09:09
織田信長に背いた荒木村重が有岡城に籠城し、帰順の説得に行った小寺官兵衛が土牢に幽閉された。著者はこの史実の中に、外部と隔絶された有岡城で奇怪な事件が続き、村重に相談された官兵衛が探偵役になる虚構を織り込んで見せたのである。
父親が寝返り、人質の少年が殺される「雪夜灯籠」は、現場が厳重に監視され周囲に積もった雪に足跡もない密室もの。「花影手柄」は、夜襲で得た四つの兜首の中から信長の側近の首を捜す一種の犯人当て。村重が和平交渉を依頼した僧が殺される「遠雷念仏」は、被害者を訪ねた人物の動向から真相を導くロジックに圧倒されるだろう。
著者は随所に迫力の合戦シーンを織り込みながら、戦国大名と「国州」の関係、武器や防具の使い方などを徹底した考証で掘り下げ、謎解きの伏線に利用しているので歴史小説とミステリの融合が鮮やかである。
本書は一話完結で進むが、終盤になると無関係に思えた事件が意外な形でつながり、村重が謀反を起こした理由も浮かび上がってくる。村重は組織の論理と個人の倫理の相反に悩み決起したとされる。これは宮仕込みをしていれば誰が経験してもおかしくないので、読者の共感も大きいはずだ。
合戦で多くの死者を出した戦国時代にたった一人を殺した犯人を捜す矛盾や、恥をさらして生きるより名誉の死を選ぶ武士がいた時代の死生観の違いは、いつの世も変わらない生きる意味とは何かを問い掛けている。
戦国時代と同じく社会が不安定な現代は、不安と恐怖が増し、生の充足感が得にくくなっている。このような時代だからこそ、本書のテーマは重く受け止める必要がある。

No.245 7点 コーネル・ウールリッチの生涯- 伝記・評伝 2023/04/29 16:21
ウールリッチの作品は謎解きとしては欠点が多い。その欠点を補って余りあるのが、ぞくぞくするほどのロマンティックで誘惑的な文体であり、運命の前では全ての人間が等しく挫折するという、彼の小説を包み込むペシミズム哲学の暗闇のような深さである。
こんなに甘くて苦い小説ばかり書いた人間はどんな生涯を送ったのか。だが、この本を通読しても、ウールリッチの生涯について知りうることはそう多くない。二十冊ほどの長編小説と二百以上の短編を残したが、人生の大半を母親と二人きりでニューヨークの安ホテルに籠って過ごし、享年六十四の葬儀には五人しか参列者が無かった。
それでも著者は存命の関係者に話を聞き、あらゆる資料を博捜する。その結末、ウールリッチの最初の結婚の失敗と、彼のスーツケースに入っていた水兵服の関係など、なまじミステリよりはるかに面白い秘密が暴露されたりもする。
だが、本書の大部分を占めるのは、彼の全作品の紹介と分析である。ウールリッチの小説を隅から隅まで何度も読み直した者にしか書けない巧みなプロット紹介で、興奮を味わうことができた。

No.244 9点 エラリー・クイーン 推理の芸術- 伝記・評伝 2023/04/29 16:20
エラリー・クイーンは、ユダヤ系移民の子としてブルックリンで生まれた従兄弟、マンフレッド・リーとフレデリック・ダネイの合作ペンネーム。
本書は二人の作者と被造物である「クイーン」の足跡をたどった評伝で、ダネイの存命中に発表された「エラリイ・クイーンの世界」を大幅に増補した決定版。この増補版では作者のプライベートな側面が重視され、金銭事情やメディア社会学的な視点も加わって、より複雑で視野の広い本に生まれ変わった。長年の議論の的だった代表者問題や、60年代に量産されたペーパーバック・オリジナルの内幕が公にされたことは、ミステリ読者にとって大きな意味を持つはずだ。
ダネイとリーは「合作方法の秘密」というクイーン最大の謎を最後まで明かさなかった。ネヴィンズは関係者の証言や書簡等からこの秘密に迫り、ある程度の役割分担まで突き止めているが、核心部分は藪の中だ。愛憎半ばするダネイとリーの危うい分業関係は、彼らの精神的息子というべき評論家アントニー・バウチャーが二人の間で引き裂かれていく姿からもうかがえる。これほど性格も文学観も異なるライバル同士が、壮絶な議論と衝突の果てにあれだけの傑作群を生み出せたのは、奇跡としか言いようがない。

No.243 7点 睦月童- 西條奈加 2023/04/04 08:45
日本橋で下酒問屋を営む平右衛門は、東北の村から少女イオを招く。平右衛門が従業員にイオを紹介すると、手代の一人が震え出し、店の金に手を付けたと告白した。実は睦月神の加護を受けたイオには、人の罪を映す特殊な能力があったのだ。物語は、イオと平右衛門の息子の央介が、体を売る女が働く川岸に狐火が出る、旗本屋敷で何人もの人間が姿を消す、などに挑むミステリとして進む。
事件の背景は、人間ならだれもが抱えているかもしれない心の闇が置かれているので、読み進めるのがつらくなるかもしれない。また謎が解かれるにつれ、贖罪とは何か、事件で心に傷を負った人たちをいやすには何が必要かという現代とも共通する重いテーマが浮かび上がってくる。ただ、温かい人情が加害者と被害者を救済する鍵になる可能性があるとの問い掛けもなされているので、決して暗いだけではない。
イオと央介が知った睦月神の秘密は、現代まで続く社会の「闇」の象徴となっていた。そのため驚愕のラストを読むと、どのように「闇」と向き合うべきかを否応なく考えることになるだろう。

No.242 7点 超動く家にて- 宮内悠介 2023/02/25 08:02
マニ車を模した不思議な家で起こる殺人事件の謎を聞いたことのある名前の探偵が推理する表題作など、いずれも”馬鹿をやる”ことに真剣に取り組んだ十六編を収録している。
例えば「トランジスタ技術の圧縮」は、雑誌『トランジスタ技術』の広告ページを取り除き、収納しやすいように小さく圧縮する(トラ技圧縮コンテスト)という架空の競技の試合で対決する二人の物語だ。名前は梶原と坂田。どうしたって『あしたのジョー』の原作者・梶原一騎と、『王将』の主人公のモデルになった伝説の棋士・坂田三吉を連想してしまう。ストーリー展開は劇画的だが、協議の内容はマニア以外には無意味な作業という落差がたまらない。しかも作中では紙がデッドメディアと化していて、雑誌自体が簡単には手に入らないのだ。王者の坂田に挑戦することになった梶原は、困難な状況の中で圧縮技を磨く。一九八〇年代のカンフー映画で見たような老師も登場し、ノスタルジックな味わいのある一編。
くだらなさを極めるにあたって、懐かしいものにピントを合わせている作品が魅力的だ。「エターナル・レガシー」では、コンピュータ囲碁に敗北し意気消沈する棋士の家に、一九七〇年代に発表された8ビットのマイクロプロセッサ(Z80)を名乗る謎の男がやってくる。(Z80)は自分が開発されたところとは比べものにならないくらい進化したゲームで遊びつつ(おお、いい時代になったもんだな!)と喜ぶ。奇妙な同居人と付き合ううちに棋士の感情は変化していく。旧いものを終わったものとして切り捨てず、かといって懐古趣味にもとどまらない、広がりのある結末になっている。
どう読んでもいいと思わせてくれる楽しい本だ。宮内悠介はこういう作家だ、SFはこういうジャンルだというイメージも超動く。

No.241 8点 ベーシックインカム- 井上真偽 2023/02/05 07:59
ベーシックインカムとは、国民の一人一人に最低限の生活が出来るレベルのお金を一律無条件に給付しよう、という社会保障制度のことをいう。とはいえ、本書は社会派サスペンスでも経済ミステリでもない。全五話のうち、表題作となる最終話には、確かにジョン・スチュアート・ミルやクリフォード・ヒュー・ダグラスの名前が出てくるし、事件現場は大学の経済研究室だが、その核心は、「オートロックのドアと暗証番号で守られた金庫からいかにして通帳が盗まれたか」という謎。基本はあくまでも本格ミステリなのである。
他の四話は、近未来の日本を背景に、新たなテクノロジーが人間の日常生活にもたらす変化を描く。AI、遺伝子操作、VR、身体増強と、SF的設定がミステリ的な謎の解明と密接に結びついているのが本書の最大の特徴。技術は革新されても人間の情は変わらない。驚くほどエモーショナルな連作集だ。

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小原庄助さん
ひとこと
朝寝 朝酒 朝湯が大好きで~で有名?な架空の人物「小原庄助」です。よろしくお願いいたします。
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平均点: 6.64点   採点数: 260件
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