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人並由真さん
平均点: 6.32点 書評数: 2026件

プロフィール高評価と近い人書評おすすめ

No.17 7点 73光年の妖怪- フレドリック・ブラウン 2023/10/08 18:02
(ネタバレなし)
 1960年前後のアメリカ。ウィスコンシン州の片田舎バートルスピルの町に、外宇宙からの宇宙生物「知性体」がひそかに漂着した。地球から73光年離れた母星を追放された、精神生命体の知性体は、追放先の天体から独力で母星に帰ることができれば罪を免除され、さらに英雄扱いされると知っていたので、何とか地球の科学文明を利用して帰還を果たそうとする。知性体の能力は、ほかの生物(地球生物)に憑依し、その心身を操ることだが、一方で、一度宿主となった生物から次の宿主に転移するには、まず現状の宿主を死に追い込む必要があった。多くの小動物、動物そして人間たちを犠牲にしながら、宇宙工学に通じた科学技術者への接近をはかる知性体だが。

 1961年のアメリカ作品。
 ブラウンの第5番目の、そして最後のSF長編。
 昭和作品の特撮ファンには『スペクトルマン』のズノウ星人、または東宝映画『決戦! 南海の大怪獣』の不定形宇宙人の元ネタといった方がわかりがいいかと思う。

 知性体には恣意的な地球生物への害意はないが、その生態システム上、何人かの人間を含む無数の地球の動物たちを犠牲にしてゆく。その辺のドライな感覚は正にSFで、さらに寄生の際には対象者が眠っているときの方がよいなどの約束事もあり、そういった経緯を知性体の視点から三人称で語るあたりは、倒叙ものSFミステリの雰囲気もあって面白い。
 本作を一種の(倒叙ものっぽい)SFミステリと捉えるなら、地球外生物の到来とその行動の目的や生態を察知する「探偵役」もちゃんと用意されており、後半は双方の対決の構図(みたいなの)に物語が流れ込む。

 メインキャラのひとりで、ハイスクールの初老の女性英語教師ミス・アメンダ・タリーが、あのスチュアート(本書の邦訳表記ではスチュワート)・パーマーのヒルデガード・ウィザースにそっくりだと書かれているのにウレしくなる。
 このタリー先生がSF小説のファンで、相棒となる科学者ラルフ・S・スタントンがミステリファン、という文芸設定も楽しい。そんなふたりの読書上の素養は、目前の非日常的な事態の見極めに少なからず寄与したようである。
 
 脇役にも魅力的なキャラクターが多く、そもそも「主人公」の「知性体」自体も悪意がない、彼なりに必死な行動ゆえ、読者に妙な親近感を抱かせる(犠牲になった人々や動物はもちろん気の毒だが……)。
 なかでも良かったのは、地方の町でほかに商売敵もいないから、テレビやラジオの修理屋の技術者として繁盛すると期待したものの、あにはからんや貧乏生活でピイピイしている、しかし猫好きの青年ウィリー・チャンドラーの描写。彼を語るシークエンスはペーソスいっぱいで、実に泣かせる。ほかの主要キャラとの僅差で、本作いちばんの好キャラクター。

 なお本作、ブラウンの長編SFの中ではマイナーな方だろうと勝手に思っていたが、読後にTwitter(X)などで感想を拾うと、意外にファンが多く、また既刊の印刷媒体などでもそれなりに高い評価を得ている名作扱いだと知って軽く驚いた。

 けっこう凄惨な物語をサバサバとスリリングに読ませ、そしてラストの後味も、小説の向こうに覗くSFビジョンの広がりも良い。秀作。

No.16 6点 スポンサーから一言- フレドリック・ブラウン 2023/05/16 06:43
(ネタバレなし) 
 ショートショートと、通常~やや長め?(中編とまではいかない)の短編群を混ぜこぜにして、21編収録。

 大昔、少年時代に初めて手にしたときは、全部がショートショートではないという不均一ぶりに何か引っかかりを覚え、途中で読むのをヤメていた。
 それからウン十年、家の中から出てきた本を、最初から読み直してみる。

 前半にほぼ集中して掲載されている、口当たりの良いショートショートのうちでは、その手のものが多い本書のなかでも特に寓意的な『武器』がベスト。

 少し長めのもののなかでは、ブラウンというよりブラッドベリ風の寂しい詩情だ、という感じの『ドーム』がお気に入り。

 原書では表題作の『地獄の蜜月旅行』は、月のクレーター「ヘル」を合流地点にして、月面ランデブー生活を送ろうとする米ソの男女宇宙パイロットの話だが「そういう」方向に行くとは思わなかった、と軽く度肝を抜かれた。

『闘技場』『スポンサーから一言』は名作という定評が先走って予断が付いて回った感もあるが、実作を読んで初めて感じる思いもあり、ちょっとしみじみ。

『かくて神々は笑いき』は、藤子・F先生の某作品の某エピソードの元ネタかな? 

 58年に原書が刊行された旧作SF短編集としては、良くも悪くもこんなものだろう、という手ごたえ。

 鬼才の傑作短編集とか妙な持ち上げ方しなければ、それなりに楽しめる。
(正直、タルいものもいくつか・汗。)

 たしか丸々一冊ショートショート集だった『未来世界から来た男(悪夢とジーゼンスタックス)』の方が単純に楽しめた気もするが、ソレは何十年も前の記憶なので、21世紀の視点の感想的には、当てにならない? 
 ブラウンの持ち味そのものは、たぶんこっち(本書)の方が、断然出ている気はする。

No.15 6点 悪夢の五日間- フレドリック・ブラウン 2022/10/22 16:28
(ネタバレなし)
 アメリカのどこかの町フェニックス。そこで「ぼく」ことロイド・ジョンソンは、妻エレンの従兄妹であるジョー・シットウェルとともに、株式仲買会社を経営していた。この数ヶ月、町の周囲では謎の犯人による、人妻を狙う営利誘拐事件が続発。最初の被害者の女性は夫が警察の介入を願ったために殺され、かたや二人目の夫婦は犯人の指示通りにしたため、金は奪われたものの、妻は無事に生還した。そんななか、今度はエレンが姿を消し、2万5千ドルを要求するメッセージがある。謎の犯罪者は先の誘拐事件の結果を教訓に、警察に知らせるなと言ってきた。

 1962年のアメリカ作品。
 主人公のロイドはたぶん30代前半。中背なのはともかく、太ってるという描写があり、この手の事件の災禍にあうサスペンスものの主人公にはあまり見られない? その辺の小市民的なキャラ設定がちょっと面白い。
 蟷螂の斧さんのレビューにもあるが、2万5千ドル(ドル固定時代なら日本円で900万円)という身代金を数日内に工面するため、主人公があちこち奔走する図が生々しい。
 そんななか、以前の誘拐事件の関係者とも関わりあい、細かいことはあまり書かない方がいいだろうが、そこからのキャラクター描写なども小説としてなかなか面白い。
 現在の事件、さらには過去の誘拐について、ロイドとごく一部の今回の件を知った者の間で、犯罪の中の意外な仮説を探っていくくだりもあり、意外にミステリ味は芳醇な作品? ともいえるかも。
 でもって、終盤の決着は……もちろん、これもあんまり書かない方がいい。個人的には面白かったが、読者によっては、もしかしたら(以下略)。

 中盤の、愛妻エレンの命を案じての笑えないドタバタ劇からして、どっか赤川次郎の出来のいいときみたいな感じもする一編。まあこれはトータルの評価の良しあしではなく、あくまで作品全体の雰囲気みたいな感触だけど。
 ブラウンのノンシリーズ編としては、中の上か上の下ランクの一冊というところ。評点は、7点にしようか迷う、この数字という感じで。

No.14 8点 霧の壁- フレドリック・ブラウン 2022/06/05 14:48
(ネタバレなし)
「ぼく」ことロドリック(ロッド)・タトル・ブリトンは、「カーヴァー広告代理店」に勤務する28歳のコピーライターだったらしい。どうやらロッドは4日前に、不動産業界で成功した祖母ポーリン・タトルが何者かに殺された直後の事件現場にいて、その時のショックで以前の記憶を失ってしまったようだ。一時は殺人の嫌疑もかけられかけたが、犯行時刻と思われるタイミングに、信頼性の高いアリバイの証人が現れて難を逃れた。ロッドは5つ年上の異母兄で劇作家志望のアーチャー(アーチ)・ホエーリイ・ブリトンから情報をもらい、欠損した記憶の回復に努める。そして、自分が何らかの事情で別れた美人の元妻、ロビン・トレンホームのもとを訪れるが。

 1952年のアメリカ作品。
 あらすじの通りに記憶喪失テーマもののミステリで、終盤まで殺人を為した犯人の正体も伏せられた内容。あえてジャンル分類すればフーダニットの要素を抱えたサスペンス作品ということになろうが、主人公の無実は一応は担保されているし特に危機的な緊張感などはない。また真相の解決もぎりぎりのところで情報が開示される構成なので、通常のパズラーというわけでもない(それでもジャンル投票は、一応、犯人捜しの要素を考慮して「本格」にしておく)。
 なおAmazonの現状のデータはヘンで、創元文庫の初版は1960年12月の刊行。評者は73年3月の12版で読了。

 要はおなじみのブラウンらしい、1950年代の都会派風俗ミステリという感じだが、記憶の回復を試みながら一方で、少しずつ祖母殺害事件についての情報をアマチュア探偵として調べていく、そして別れた魅力的な妻ロビンへの愛情を改めて自覚する主人公ロッドの叙述が丁寧で、かなり面白い作品だった。
 中盤、ロッドがもうひとりのヒロインで会社の同僚ヴァンジイ・ウェインに肉欲を感じながら、あまりにも愚直な誠実さを見せてしまうあたりとか、ああ本当にブラウンらしい、オトナの青春ミステリ(あ、特にここで「ミステリ」とつけんでもいいか)だなという感じで、思わず微苦笑が漏れる。

 最後の着地点は、苦みと温かさが本当に良い塩梅で組み合わさったクロージングで心地よい。
 書庫から出してすぐそばに置いておいたはずなのに、本の山に埋もれて見つからなくなっていた。やはり読みたくなってちょっと手間かけて探し出した一冊だが、とても良かった。今のところ、これまで読んだブラウンのノンシリーズ長編ミステリの、マイベスト3には入れたい。 
 評点は0,25点くらいオマケ。

No.13 6点 交換殺人- フレドリック・ブラウン 2022/05/25 14:58
(ネタバレなし)
「おれ」こと、テレビの脇役俳優兼タレントである27歳の独身男ヴィリー・グリフは、少し年上の美貌の人妻ドリス・シートンと不倫関係にあった。だがその情事がドリスの夫でハゲデブの四十男ジョンに露見。シート・カバーの製造販売業界で成功し、テレビのCM広告主でもあるジョンはグリフに対し、ドリスとの仲を清算すれば穏便に済ますが、これ以上関係を続けるなら、テレビ界に圧力をかけてグリフの仕事を干すと言ってきた。グリフはドリスとジョンの財産を手に入れるため、完全犯罪での殺人を考えるが。

 1961年のアメリカ作品。
 題名で大ネタは一目瞭然だが、『見知らぬ乗客』『血ぬられた報酬』に続く、たぶん欧米ミステリ史上3冊目の、クライムサスペンス形式での交換殺人もの。
 とはいえ物語(ページ数そのものはそんなに長くない)のかなりあとあと、中盤に至るまで、殺人計画をあれこれ考えたジョンが、どういう経緯で誰を交換殺人のパートナーに選ぶのかはっきりせず、その辺をアレコレ考えるのはなかなか楽しかった(カンのいい人は、いや、相棒はこの人物しかないだろ、とわかってしまうかもしれないが)。

 売れない脇役俳優がビンボーな倹約生活ながら「動物園(ズー)」とあだ名をつけた下宿アパートの周辺で、周囲の若い連中などとフリーセックスめいた行為を楽しんでいる描写にも妙な活気があり、ブラウン先生、ここではそういうものも書きたかったんだね、という感じ(正直、日本に翻訳紹介された時点では、結構なエロミステリだったのではないかと思える叙述も散在する)。

 後半、グリフとその「相棒」が次第に悪の道に足を踏み込み、もう後戻りできない状況になってから独特の加速感が生じるが、終盤の展開は……うん、確かに斎藤警部さんのおっしゃるようにラストの切れ味はスパっとは行ってませんね(汗)。ごもっとも。
 ただまあ、評者的にはブラウンの用意しようとしたオチの方向には了解できる面もあるので、大枠としてはコレで良かったと思わないでもない。主人公グリフの行動などを含めて、もうちょっとツメようもあるのでは? という気もするが。

 大昔から「短編ネタの長編」とか、一方で「傑作」だとか、実は意外に読んだ人の評価や感想が割れている印象もある作品。
 評者としては、佳作ぐらいに認定。

【2022年6月2日】
 本文を一部、改訂しました。

No.12 8点 不思議な国の殺人- フレドリック・ブラウン 2021/09/08 05:44
(ネタバレなし)
 アメリカの一地方にあるカーメル市。そこで「わたし」こと52歳のドック・ストージャーは、地方新聞「クラリオン週刊紙」の発行人兼主筆を23年間にわたって務めてきた。そんな晩春~初夏のある夜、ドックは新聞紙面の差し替えの可能性を気に留めながら、帰宅するが、そこに一人の小柄な訪問客がある。「エフーティ・スミス(スミティ)」と名乗った客は、かつてルイス・キャロルの研究家だったドックの前身を知っており、市内の無人の幽霊屋敷で行われるというキャロル愛好家の同好の士の集いに彼を誘う。だが、そんなドックのもとに突然の事件の知らせがあり、彼は来客を自宅に待たせたまま飛び出すが————。

 1950年のアメリカ作品。
 地方新聞の発行人で、土地の人々ほとんどと面識がある初老の主人公ドック。その彼のもとに、一晩のうちにニュース種になりそうな事件の情報が続々と持ち込まれたり、あるいは彼自身がなりゆきから関わっていく。そのうちに物語の主軸となる奇妙な変死事件、さらなる……が勃発する。
 なんかまるで、若竹七海の葉村晶シリーズの長編みたいな大小の事件のミキシングぶりだ。これだけでもエンターテインメントミステリとしてはなかなかイケてるが、評者などがブラウンのミステリに期待する独特な洒落っ気とペーソス感の方もさらに豊潤で、実にたまらない。

 あと主人公のドックは、本当にわずかな描写でその素性が語られるが、若い時に何らかの事情で婚約者と死別しており、その後もずっと独身を貫き、仕事一筋に生きてきた男。しかし市内の銀行の頭取から話があり、その頭取の弟が新聞社を経営したいというので、権利を譲ってこの仕事から身を引こうかとも考えている。青春の残滓と中年の重みが絶妙にまじりあったキャラクターで、いいねえ、なんかウールリッチ以上にアイリッシュだ(アイリッシュ以上にウールリッチだ、でもいいのだが)。

 物語の大枠は当初から推察がつくとおり、一晩のうちに始まり、同じ夜のうちに決着する<ワン・ナイト・ストーリー>(評者がいま作った造語)。
 その趣向の中で、とにもかくにもベテランのジャーナリストとして、目の前に次々と現れる記事ネタに食いつき、対処し、そして振り回されるドックの姿がテンション豊かかつユーモラスに語られる(中にはとても悠長に構えてられないサスペンスフルな状況もあるが)。
 そしてその上でメインの怪死事件の舞台が、J・D・カーかブリーン、ロースンみたいな幽霊屋敷なのだからたまらない。ニヤニヤ、ゾクゾクしながらこの筋運びを楽しんだ。
 
 終盤はさまざまな事態の絡み合いの結果、窮地に陥ったドックのサスペンス劇に、フーダニットの興味が融合する。
 ドックが思いついた仮説がそのまま真相を言い当ててしまうのはちょっとアレだが、ちゃんと一応の伏線というか解決に至る布石は張ってあり、まあいいんでないかと。良くも悪くもブラウンのミステリらしいし。
(ただまあ、中盤で語られた謎の怪事件の方は……。)

 今まで読んだブラウンのノンシリーズものの中では、間違いなくコレが一番面白かった。
 こういうものを半年に一冊くらい読めたら私のミステリライフは、かなり満足度&充実度がさらに上がるんだけどな。 

No.11 7点 火星人ゴーホーム- フレドリック・ブラウン 2021/07/23 04:38
(ネタバレなし)
 1964年3月26日。木曜日の夕方。カリフォーニアの砂漠にある丸太小屋で、37歳のSF作家ルーク・デヴァルウは、原稿が書けないことに悩んでいた。そんな彼の前に、「クゥイム」なる空間移動技術で火星から来たという身長2フィート半の火星人が出現。火星人は、ルークが恋焦がれる娘ロザリンド・ホーンが他の男と寝ていることを言い当て、地球上ならほぼ万能の知覚能力があることを示した。驚き慌てるルークだが、全世界はあっという間に10億人の火星人で埋め尽くされる。しかも彼らは物理的な実体を地球人に感じさせずに自由に出没し、あらゆることに関心を抱き、あらゆることをジョークのネタにした。男女の性生活をふくめて、地上からはほぼ全てのプライヴァシーが奪われ、地球の文明は大きく変容を強いられていく。

 1955年のアメリカ作品。
 フレドリック・ブラウンの3冊目のSF長編で、異星人の侵略もの、ファースト・コンタクト・テーマを独特のコミカルさで描いた名作。
 とはいえ評者など、大昔に日本版EQMM(古本屋で集めた)で読んだ都筑の「ぺえぱあ・ないふ」そのほかで以前から、設定や大筋、さらにサワリのギャグなども教えられており、さらにあちこちで「名作」「傑作」と聞かされていたものだがら、21世紀のいま初めて読むと「うんうん、そうだね」と頷く部分もあれば「ナンダ意外にコンナモンカ」という部分を感じないでもない。

 言い方を変えれば時代を超えて面白い部分はたしかにあれど、一方でどこかに悪い意味でのクラシックさを感じたりもした。

 たとえば、一体何がしたいのかわからないままに地球文明をかき回す10憶の火星人が、人類の価値観や社会様式を破壊していくプロセスのダイナミズムそのものは確かに普遍的に痛快なのだが、かたや作劇の枠組みでいえばよくもわるくも真っ当な王道感を抱かせるもので、これまで見たこともないトンデモナイものに触れた、という種類のショッキングさなどはそうない。
 20世紀、それも1970~80年代くらいまでに読んでいたら、この辺はもうちょっとスナオに楽しめたのかも、という思いが生じた。

 それでも火星人に対する認識というか距離感が変遷してゆく主人公ルークの後半の叙述とか、モジュラー風にカメラ視点が切り替わる地球各地のバカ騒ぎとか、やがてルークを取り巻くいささかブラックな連中の描写とか、細部にぎっしりとアイデアを盛り込み、読み手を最後まで飽きさせないあたりは、やはり流石。
 後半パートでメインヒロインの座に復権する(中略)も、なんかいかにもフレドリック・ブラウンらしいキャラクターでよろしい。
 
 ラストは(中略)感じもあるが、これはもちろん意識的に書かれたものであろう。
 もともとジャンルもの作品そのもののパロディ的な趣もあるから、あえてこういう(中略)な作りにしたんだろうし。

 名作・傑作の高評が先に来て、あまり期待値が高すぎるままに本を手にするのはオススメしないけれど、まあ確かに楽しめる作品ではあります。
 評点は、今の正直な気分でいうと0.5点くらいオマケしてこの点数で。いや実質的には十分この点は取ってるとは思うのだけれど、素直に7点をつけたいと言い切るには、ちょっとだけ二の足を踏む。

No.10 6点 B・ガール- フレドリック・ブラウン 2021/06/27 15:56
(ネタバレなし)
 1950年代のロサンジェルス。その年の夏。「おれ」ことシカゴの高校で教鞭をとる28歳の高校教師ハワード・ベリー(愛称「ハウイー」)は、夏休みを利用してLAに来ていた。ハウイーの目的は大学教授(講師)になるべく、改めて大学院に入学して修士課程をとるための準備の勉強と、そして生活費稼ぎのバイトをするためだ。そんなハウイーはシカゴに来るやいなや、通称「ビリー・ザ・キッド」こと26歳の美女ウィルヘルミナ・キドラーと、親しい男女の仲になっていた。ビリーの仕事は「B・ガール」、つまり酒場で客をとる娼婦だ。近所のレストランで皿洗いのバイトをしながら就学の準備を整えるハウイーは酒も適度に楽しみ、町には多くの飲み仲間もできていた。だがそんなある日、突然、ビリーがハウイーに向かい、とんでもないことを口にする。
 
 1955年のアメリカ作品。
 フレドリック・ブラウンのノン・シリーズで、邦訳は創元文庫にも入っていないため、この「世界名作推理小説大系」でしか読めない。
 小林信彦の「地獄の読書録」のなかで、一風変わった作品、具体的には「本来ならアマチュア探偵になるはずのポジションの主人公が、なにも推理も犯人さがしもしない怪作」という趣旨の物言いでわりと面白がっていたのがコレである。
(なんかそれだけ聞くと、都筑道夫の、デビュー時点での物部太郎みたいだ?)
 
 評者的には、まあ作者がフレドリック・ブラウンなので、そーゆーのもあるであろう、くらいに思っていたが、実際にその通りの作品。
 主人公ハウイーの周辺で序盤から殺人事件が起きるが、当人が特に容疑者にされたり、恣意的に事件に巻き込まれたりするわけでもない(警察との接触はちょっとある)のをいいことに、フツーの意味でのミステリの主人公みたいなことはほとんど何もしない。
 なんかやや薄口のデイモン・ラニアンの世界みたいな、のんべえや町の女たちの喧騒めいた日常生活がゆるゆると続いていく。
 それはそれで語り口としては面白いし、評者などはこういうものだろうとある程度の予想もついていたので、気楽に楽しんだが、人(ミステリファン)によっては軽く怒るかもしれない。
 もちろん1950年代のアメリカ大都会の裏町の気分は、満喫できるんだけれど。

 しかしよくこれを数あるブラウンのミステリ諸作の中から、代表作? 的なポジションで「世界名作推理小説大系」に入れたよ。いや、ある意味ではフレドリック・ブラウンという作家の側面をひとつ、よく表した一作ともいえないこともないか。

 物語はラストで急転直下、ミステリらしくなり、意外な犯人も判明。さらに(中略)。この荒馬に乗って田舎道を歩いていたと思えば、いきなりハイウェイに出るような感覚はまあなかなか面白い。
 
 クロージングに関しては、評者はフレドリック・ブラウンの都会派ミステリに、ときたまウールリッチにどこか似たような詩情やペーソス、あるいはちょっとだけいびつなユーモアを感じるようなことがあり、そういうところもスキなんだけれど、これは正にそんな感じ。どういう方向で決着するかは言わないけれど、余韻を感じながら読み終えられた。

 評点はむすかしいなあ。7点あげるとちょっとアレなので、とても好意的な意味でのこの点数ということで。
 
【余談1】
 本作の原題は「THE WENCH IS DEAD」で、田舎娘(または女中、娼婦)は死んだ、の意味だけれど、これはデクスターの『オックスフォード運河の殺人』のソレといっしょだな。そっちはまだ読んでない(買ってはある)が、なんか笑う。

【余談2】
 物語の後半、事件のなりゆきのなかで、諧謔を込めておのれをスーパーヒーローのなりそこない的に自虐したハウイーが上げる名前が順番に、スーパーマン、ディック・トレーシー、セイント(サイモン・テンプラー)、ペリー・メースン、ファントマ。この辺も楽しかった。

No.9 8点 三人のこびと- フレドリック・ブラウン 2021/05/04 04:25
(ネタバレなし)
 一年前に実父ウォリイと死別した「わたし」こと19歳のエド(エドワード)・ハンター。エドは芸人の伯父アム(アンブローズ)とともに、巡業サーカス「J・C・ホバート・カーニバル」一座の旅に加わっていた。だがその年の8月半ば、サーカスの周辺で素性不明の小人が殺害される事件が起きた。ついで今度は団員が飼っていたチンパンジーが、そして7歳の黒人の児童ダンサーが殺される。<三名の被害者>はみな、広義の「こびと」といえる存在で、さらにエドは殺害されたチンパンジーの幽霊まで目撃した。エドとアムのコンビは、懇意になったアーミン・ワイス警部とともに、事件の謎に迫るが。

 1948年のアメリカ作品。エド・ハンターシリーズの第二弾。
 大昔に読んでいたはずだが、事件の真相も犯人もほとんど失念。しかし終盤のあるポイントで、やっぱり読んでいた! と思い出す(汗)。

 サーカスの団員仲間で、エドと同世代の美少女が2人登場。その双方と三角関係になるエドくんの青春ドラマの行方が、サブストーリーとしてなかなか読ませるが、やはり最大の興味は<三人のこびと>がなぜ次々と殺されたかという<ミッシング・リンクの謎>。この魅力的な謎の提示と、真相の開示はなかなかイケる。

 実は伏線は結構目立つように張られており、こちらも当該の箇所はちゃんと一度はメモしていたのだが、そのあとの筋立てが起伏に富んで楽しいので、いつのまにか念頭から薄れていた(ああ、情けない)。
 しかし解決で事件のパズルのピースが綺麗に収まっていく流れはすこぶる快感で、特に第三の事件の意外な経緯はハタと膝を打つ。
 
 ところでこの数年、ブラウンのミステリ諸作を何冊も読んで、この作家が地方巡業サーカス興業に独特の思い入れを抱いているのはよくわかっていたつもり。
 それだけに本作はそういう系譜の作品群の真骨頂だろうと予期していたが、いざ実物に触れなおすと、サーカスそのものの熱狂に関しては意外にあっさりな感じであった(もちろんそれなりには描写されているが)。
 同じブラウンのサーカスものなら、前に読んだ『現金を捜せ!』の方が、ずっと作家のサーカスに抱くくすぶった情念を、実感させる。

 それでもとにもかくにもミステリとして秀作で、青春探偵エド・ハンターシリーズの重要な過渡期編であることは間違いない! エドに対し、君は探偵に向いていると背中を押してくれたワイス警部もいい人だ(マイ・脳内イメージは、手塚マンガの下田警部みたいなキャラだね)。

【以下:余談ですが】
 最後に、実にワタクシ事ながら<本サイトに、まだ登録&レビューがない作品ばかり、しばらく続けて読んで、投稿してやろう>と、実は数か月前から考えて実行しておりまして、本書でめでたく、ひとくぎりの100冊目とあいなった。ジャンジャン。
 だからどうした、というお話(笑・汗)ですが、その記念に大好きな本シリーズの、そしてもう一度読み返してみたいこの作品をセレクトしたというワケで。
 また明日からもイージーゴーイングにミステリ(&SF、ホラー、ファンタジーそのほか)を読み続けますので、みなさま、どうぞよろしくお願いします。

No.8 8点 アンブローズ蒐集家- フレドリック・ブラウン 2021/01/09 07:34
(ネタバレなし)
「ぼく」こと新米探偵の青年エド・ハンターは、私立探偵として豊富なキャリアを持つ伯父アム(アンブローズ)とともに、伯父の知己ベン・スターロックが経営する「スターロック探偵社」に勤務。いずれ叔父と甥で独立した探偵事務所を開くため、資金を貯めていた。だがある日、事件を調査中のアム叔父が行方不明となる。エドは必死に伯父の消息を追い、スターロック社長を初めとする探偵事務所の仲間や旧知の警官フランク・バセット警部も手を尽くすが、成果は得られなかった。渦中「アンブローズ」の名を持つ人間を拉致する怪人「アンブロ-ズ・コレクター」の存在までが取りざたされる。そんな、叔父を捜し続けるエドの周辺では殺人事件が。

 1950年のアメリカ作品。エド&アム・ハンターシリーズの第四弾。
 評者の大好きなシリーズではあるが、それでも未読と既読がランダムにいりまじっている、このエド&アム・ハンターもの。
 大昔に読んだ作品も細かいところはほとんど忘れちゃってるので『シカゴ』と『火星人』以外なら現状どれを読んでも(再読しても)いいのだが、とりあえず読みたくなった現時点ですぐそばにあったコレを手にした。これは確実に未読の一冊(新刊刊行時にとびついて買って、そのまま今までとっておいたので)。

 でまあ、内容については前もってうっすらしか情報を聞かされてなかったので、詳しい設定を知って驚き。要はエラリイのすぐ脇のリチャード警視が、あるいはポアロものの初期編でヘィスティングスが突然いなくなってしまう(たぶん誘拐か監禁された?)ような、ぶっとんだ話だったのね。実際にそういう趣向に近い狙いを行った作品としては「87分署」シリーズ途中の某長編を思い出した。

 アム伯父の安否を案じて焦燥するエドを支えてスターロック社のチームがフル稼働するあたりは、集団捜査ものミステリの面白さが炸裂。丁寧な翻訳も効果をあげて、そんな彼らの捜査線上に浮かんでくる劇中の人物も、おおむねそれぞれキャラクターがくっきりしている。
 さらに、評者がなにより愛してやまない<青春ハードボイルドミステリとしてのエド・ハンターシリーズ>としての要素が今回も十全で、その煌めきがすごく心の琴線に触れる。
 本当なら『火星人』(シリーズ5作目で本書の次)の再読より先に、こっちを読むべきだったかな。うーむ。これは、しゃーない。
 まあシリーズものだからアム叔父さんが最後には(中略)なのは分かっているんだけれど、複合的な犯罪の真相が明快に暴かれる終盤の流れなどは鮮やか(悪事の仕掛けについては、後年のある連作短編ミステリシリーズの一編を連想した)。

 しかし名前「アンブローズ」への執着だけで、一人前の大人のアム叔父を連れ去った? イカれた犯罪者~そんなのが実際に作中にいるのかどうかは、なかなかわからないのだが~のイメージはケッサクであった。さすがは狼男だの火星人だの、トンデモナイものが事件の視野に入ってくる愉快なシリーズだけのことはある。

 実質、ミステリとしては7.5点なんだけれど、ごひいきのシリーズが期待通りの楽しさだったことを喜んで評点は、8.5点の意味合いのこの点数で。

【最後に余談】
 以前、どっかに書いたかもしれんが、周知の通り、この作品は唯一、未訳のまま長らくほうっておかれたエド&アム・ハンターシリーズの長編であった。
 それで、実は1980年代に<SRの会>の関東(東京)例会に、当時の創元社の現役の編集主幹だった戸川安宣氏が来訪したことがあり、その席でSR会員のひとりから「未訳のこの作品は、出ないのですか」という主旨の質問が寄せられたことがあった。その場での戸川氏の返答は「自分も気になっているので、機会を見て出したい」であり、そのやり取りを聞いた自分も20世紀の間中ずっと、刊行を待っていたのだけれど、ついに実現することはなく戸川氏は退社。本作は未訳のままさらに十余年眠り続け、論創さんのおかげでようやっと、発掘された訳だった。個人的にも感無量だったけれど、自分なんかよりずっとはるかに歓喜した人もいたんだろうな。ミステリファン長いことやってると、いろんなことがあるわ。しみじみ。

No.7 7点 手斧が首を切りにきた- フレドリック・ブラウン 2020/10/03 14:53
(ネタバレなし)
 1948年8月のミルウォーキー。6歳の時に父アルビンと、そして1年前に母フローレンスと死別した19歳の若者ジョゼフ(ジョー)・ベイリーは、違法賭博の大手胴元スタニスラウス(スタン)・ミッチェル(ミッチ)の舎弟として仕事を手伝っていた。そんなジョーは、同じアパートに越してきた同年代のウェイトレスで可愛い娘エリー・ドラビッチ、そしてミッチの情婦の妖艶な美女で少し年上のフランシーヌ(フランシー)・スコット、その二人の女性にそれぞれの魅力で惹かれる。恋人となった前者といずれ円満な家庭を持つことも考えるジョーだが、一方で彼はフランシーとミッチの関係に憧れて、裏社会の大物になりたいという野心があった。やがてジョーは、ミッチとその仲間たちからある案件について打診を受ける。しかし彼をかねてより悩ますのは、亡き父アルビンにからむ、とある妄執であった。

 1950年のアメリカ作品。
 そのうち読もうと思って書庫から出しておいた一冊だが、先日、新訳版が出た『シカゴ・ブルース』を本屋で手にすると巻末の解説で杉江松恋氏がブラウンのミステリ全般に触れ、中でもこの作品をけっこう興趣も豊かげに紹介している。それで弾みがついて今回、読んでみたが、なんというかブラウンのノンシリーズ長編のなかでも独特の風格を感じさせる内容。
 
 ストーリーの大軸は、二人のヒロインの間で揺れながら(ただし比重ははっきりと一方の方にある)少しずつきな臭い世界にさらに踏み込んでいく薄闇色の青春ノワール・クライムサスペンスだが、さらに主人公ジョーの内面にはある浄化困難な過去のトラウマが潜み、それが(中略)。
 読後感などもあまり語らない方がよい作品だと考えるが、それでも作者ブラウンがなんでこういう作品を書きたいと思い、どうしてこんな物語の流れにしたのかは伝わってくる気がする。そういう意味では、説得力のある作品。
(ただしラストには、ある一点において読み手を放り出す部分があるが、その辺で読者を心の迷宮に置き去りにしようとするのも、作者の確信行為であろう。)

 中盤からの随所のメタ的な叙述(ジョーの物語が、いきなりまるで創作物を外側から覗くように相対化される)は実験小説の趣で、マジメな青春ノワール・クライムを書くのに照れていた作者ブラウンのはにかみめいたものも見やる。

 あと、第三次世界大戦の勃発におびえ、今度の戦争では確実に核ミサイルの応酬で世界が滅亡すると陰鬱になる当時のアメリカ市民の終末感もすこぶる印象的。向こうではこんな空気が10年以上も濃かれ薄かれ続いたんだよな。さらにそのあとには、ベトナム戦争というまた別の闇が迫ってくるけど。

 個人的にはブラウンのミステリはこれから読まず、エド・ハンターシリーズを順々に数冊紐解くか、あるいはもうちょっと軽めの技巧派? 系列、またはごく普通のB級謎解き作品の佳作~秀作『モーテルの女』あたりから入って何冊か楽しんだあとに、これに触れてほしいと思う。
(まあこれが最初のブラウンのミステリとのファースト・コンタクトだったという人は人なりに、それっぽいブラウン観が形成されるかもしれんけどね。)

No.6 7点 彼の名は死- フレドリック・ブラウン 2020/05/28 08:23
(ネタバレなし)
 カリフォルニア州のサンタ・モニカ。印刷店に勤める若い美人の未亡人ジョイス・デュガンは、店の主人ダリュウス・コンの指示で、彼の留守中に来訪してきた客、クロード・アトキンスに90ドルを渡す。コンは昨夜、クロードと互いに合意の上でそれぞれが使っている中古車を交換したが、クロードの車の方がやや状態が良かったので、評価額の差額90ドルを払う約束らしい。ジョイスは小切手で支払うように指示されていたが、クロードはたまたま彼女と旧知の間柄だった。その彼ができれば現金が欲しいというので、ジョイスは店の奥にあった新券の紙幣10ドルを9枚、自分の判断で渡してしまう。だがそんなちょっとした独自の判断が……。

 1954年のアメリカ作品。
 蔵書の中から出てきた創元文庫版で読んだが、旧クライム・クラブ版も持っていたかもしれない。後者の方が植草甚一の解説も載っているのだろうから、そっちで読んだ方が良かったかも(まあその気になれば植草の解説は、『雨降りだから~』でも読めるんだろうけれど)。

 ここまで完全な倒叙……というよりはクライム・サスペンスとは思わなかった。
 犯罪の露見を警戒して早めに次の手を打っていくかなり慎重な主人公だが、各局面での判断はそれぞれ「それって考えすぎ?」あるいは「神経質すぎじゃ?」と思いたくなる段階に踏み込む一歩手前の連続という感じで、言いかえれば「ここで先手をうっておこう」という思考にそれなりの説得力がある。その辺は犯罪そのものに、当たり前に慣れていく人の心のヤバさもしっかり書き込んだブラウンの筆力の賜物でもあるが。

 かなりテンポの良い作品で、3時間であっというまに読めるが、ラストは……ああ、そういうオチね。
 大昔に、同世代のミステリファンと会話を交わして、このフレドリック・ブラウンの別作品『3・1・2とノックせよ』のラストのオチを相手が激賞。しかし当方はあのオチは(中略)だと思って、今でも大したことはない、と考えているんだけれど、この作品『彼の名は死』の方は、筋立ての流れとしては同作に通じる部分がある感じながら(こう書いてもネタバレにはなってないと思うが)割合、うまく決めた印象はある。
 まあ21世紀の今、国内の技巧派作家がこういう作品を書いてもそんなに目立たないとも思うけれど、当時としては割と切れ味のよい一品だったんじゃないかしらん。
 旧クライムクラブの柱にはまかりまちがってもならないだろうけれど、叢書全体のレベルの底上げに貢献した一作だったとは思うよ。

 最後に余談。創元文庫版の206ページに、登場人物の口を借りて、あのヒルデガード・ウィザースの名前(訳文では「ヒルダガード~」と表記だが)がいきなり出てきて、ぶっとびながらウレシクなった。もしかしたら、同世代の都会派軽量パズラーみたいな親近感で意識してたのかもしれないね。
 評点は0.5点オマケ。

No.5 5点 現金を捜せ!- フレドリック・ブラウン 2020/03/12 22:08
(ネタバレなし)
 アメリカのどこか。地方のそれなりの規模のカーニバルの呼び込み役のマック・アービーは、同じカーニバルに勤めるチャーリー・フラックに誘われて、銀行強盗を行った。計画は成功し、身元もばれていない。しかしふたりが4万2千ドルの獲物を山分け寸前、フラックが交通事故で死亡。同じ車に乗っていたアービーは足を骨折しながらも一命を取り留めた。だが退院したアービーが隠しておいた金を回収にカーニバルの周辺に来た時、銀行強盗の正体がこの二人だと推察していた「殺人犯人」がアービーを殺す。「殺人犯人」は金を奪おうとするが、その在処は分からないままだった。さらに一人二人と、金の匂いを嗅ぎつけた周囲の人間たちが……。

 1953年のアメリカ作品。ブラウンのノンシリーズ作品の一本で、薄口のノワール風クライムストーリーと、サスペンススリラーをない交ぜにしたような内容。
 ちなみに邦訳の創元文庫版のあらすじを読むと、アービーを殺し、さらに金のために人死にを生じさせていく「殺人犯人」(「男」とも叙述)の正体を謎の主題にした、一応のフーダニット作品のようにも思える。
 だが実際には地の文でそのキャラを「殺人犯人」と叙述しておきながら、一方で、早々と別の人物から当の殺人犯に向けて本名を呼ばせて、読者にその正体を割ってしまう(でもそのあともまた「殺人犯人」と延々と叙述)。なんなのだ、これは。評者は一度は、これは何かの××トリック的なミスディレクションかとさえ思ったりしてしまった。
 さすがブラウン、『やさしい死神』もそうだったが、ミステリを書く際には意外に天然っぽい。まあもしかすると、折り目正しい謎解きミステリなんか、自分にとっては二の次なんだよという、創作者としてのアピールかもしれんが。

 そういう訳で中盤まではちょっと、気の抜けたビールみたいなダレた感じも覚えてたりしたが、後半3分の1くらいになって何人かの主要キャラがそれぞれの欲望や動機にもとづいて積極的に動き出してくると、それなりに面白くなってくる。ラストは、良い意味で、ああ、こんな感じになるよね、という思いでいっぱい。最後まで読むとキャラクターたちの書き込みも、思っていた以上の膨らみを実感した。

 あとこの作品を読むと、ミステリに限らず物語のなかで描かれる、カーニバルの華やかさと裏表にある、刹那的な寂寞感といかがわしさというのは、いつだって文芸上の普遍的な主題なんだよなと改めて感慨。たぶん星の数ほどの作家がそれを詩情豊かに語ることに心血を注いできたと思うが、ブラウンはそれを相応にしっかりやった作家だったという印象がいまいちど強まる。そのうちエド・ハンターものの『三人のこびと』も読み返してみよう。

No.4 6点 モーテルの女 - フレドリック・ブラウン 2019/02/06 16:04
(ネタバレなし)
 アリゾナ州の小さな町メイヴィル。「わたし」こと29歳のロバート(ボブ)・スピッツァーは、週刊タウン誌「サン」の記者職に従事。二年間の安月給での雇用期間を、記者としての修行と思って耐えている。そんなある夜、会社の側にあるモーテル「ラ・フォンダ」の一室にひと月前から入居していた女性エイミー・ワゴナーが、何者かによって刺殺される。ボブは電話交換手で美人の恋人ドリス・ジョーンズとの恋愛を楽しみながら、記者として素人探偵としてエイミー殺しの事件を追うが。

 1958年のアメリカ作品。日本でモーテルといえば1970年代から、ほぼラブホテルと同意という認識が昔からあった。そのため大昔の少年時代に本書の存在を初めて知った際には、これはどんなイヤらしい作品かと楽しみ……いや、敷居が高い感じであった。
 さらにこの作品、昔の創元文庫ではよくあることながら、ページ組みの関係か作品固有の解説が巻末についてない(同じ作者の他の同様の仕様の作品と兼用の、作者フレドリック・ブラウンについての概要を語った1ページのみの定型記事はついている)。
 そういうわけで、本書の中味が実際にどんなかなと探るには、あれこれ妄想を越えて現物を読むのが一番手っ取り早い。そういうわけでウン十年単位で遅ればせながら、このたび思いついて本作を読んでみる。
 
 はたして何というか案の定というか、実際にはエロさとはほとんど無縁の(笑)、50年代のアメリカのローカル色が豊かなB級パズラー。一応は誰が殺人犯かのフーダニットにもなっている。モーテルも単に、自動車の駐車に利便性のある普通のホテル以上の意味はない(いや、それがそもそも本来の字義だが~汗~)。
 地方の小さな町で起きたちょっとだけ不可解な殺人事件(不可能犯罪とかではなく、動機や事件の筋が見えないという意味で)に関わり合う周囲の人々それぞれの姿を、ボブの視点からとても丁寧に描いていく。そんななかで記者として社会人としての誠実さや矜持を主人公ボブ自身が試される局面もあるが、いかにも50年代のアメリカの良識面といった感じで真っ当に対応する彼の態度がすごく気持ちよい。この辺はノンシリーズながら、エド・ハンターものに通じるアメリカ旧作青春ミステリ風の趣もある。

 ミステリとしては犯人確定の決め手となるカードが最後の真相判明の少し前に初めて出されるため謎解き作品としてはちょっと弱いが、一応はそのキモとなるファクターが出た時点で、読者がギリギリのところで犯人を推察可能となる作りにはなっている。
 ただし本作の場合、犯人とその動機や事件の真相が明かされてそれで終り、ではなく、作品前半から撒かれていた小説としてのいくつかのフックにちゃんと多様な情感を含ませた決着をつけているところが実に良い。うん、フレドリック・ブラウンのミステリで読みたいのはこういう味わいだ。
 ヒロインのドリスもとても可愛く、エド・ハンターと違う一作限りの主人公だからこそ、このクロージングだなあ、という実感。

 ちなみにAmazonでの本書のレビューが2018年になって初めてついてますが、この作品への愛情を傾けたなかなかの名文でした。やはりこの邦題に関しては、似たような思いを抱いていた人はいるらしい(笑)。

No.3 9点 死にいたる火星人の扉- フレドリック・ブラウン 2018/10/11 02:53
(ネタバレなし)
 猛暑の8月。シカゴで叔父(アンクル・)アムとともに零細私立探偵業を営む青年エド・ハンターは、赤毛の若い娘サリー・ドーアの訪問を受ける。彼女の相談内容は、自分が火星人に命を狙われているので護衛してほしいというものだった。精神科か警察に行くようサリーに勧めたエドだが、相手は相手にされないことをなかば覚悟していたような感じで退去。その仕草が気になったエドは、結局、とりあえず一晩だけの約束で彼女のアパートの隣室で護衛役を引き受ける。だがその夜、サリーは外傷のない突然死を遂げた。彼女の死を看過する形になって悔恨の念を抱くエドは、アムの協力を得ながらサリーの後見人の親戚一家に接触、そしてサリーの妹のドロシーとも対面する。それと前後して、火星人と名乗る者が電話でエドとアムに連絡。火星人は、サリーを殺したのは我々ではない、事件を調べてほしいと告げ、いつのまにか事務所に千ドル紙幣をひそかに置いていった。

 1951年のアメリカ作品。私立探偵エド&(アンクル・)アムものの第五長編。シリーズ第一作『シカゴ・ブルース』で初心だったエドは十分にセックスも楽しむ青年探偵に成長している(劇中に情事のシーンなどは全くないが、登場するヒロインに向けて、エドがそっちの関心があることをワイズクラックで匂わせたりしている)。
 本書は評者にとって何十年ぶりかの再読のはずだが、初読当時、実に面白かったこと以外さっぱり内容は失念。しかしながら本書は自分が出合ってきたオールタイムのミステリ中でも最高クラスに魅惑的なタイトルの響きであり、その意味も踏まえていつか読み返したいと思っていた。
(だってステキではないか。地球に来訪するなら円盤かワープ、テレポーテーション技術の方が似合いそうな火星人の用いる通路がフツーの「扉」で、しかもそれが謎めいた「死にいたる扉」という妖しげで幻想めいたものなんて~笑~) 
 でもって一昨日、ようやく本が自宅の蔵書の中から見つかったのでいそいそと読み出したが……あああ、期待以上に、最強にオモシロい! 
 エドとアムがなじみの警察官フランク・バセット警部の協力を得ながら関係者を尋ねてまわり、第二ヒロインである妹ドロシーやさらに登場の美女モニか・ライト(エドたちの事務所に短期の秘書仕事の応援にやってくる)たちと関わり合うなかで、ついに第二の不可能興味っぽい犯罪が発生。エドの疑念のポイントは改めて、いかに姉サリーが殺されたかのハウダニットに絞り込まれつつ、物語はハイテンポに進んでいく。特にエドがある仮説を思いつき、サリーのアパートで実地検証を重ねるあたりのゾクゾク感はたまらない。
 キャラクター描写も味があり、なかでも後半、自分の至らなさから犠牲者を出したと自責の念を覚えるエドがサリーの元カレの青年ウイリアム・ハイパーマンに接触。エドが自分のストレスを彼とのボクシングの試合でさらけ出したのち、そのウイリアム当人や彼の家族と奇妙な心の絆を感じあうあたりなんか本当にいい。なんかとても丁寧に演出された、50年代アメリカのヒューマンテレビドラマみたいだ。
 青春ハードボイルドとしては大沢在昌の佐久間公(もちろん若い頃の)チック、不可能犯罪の興味としては、どっかJ・D・カーのB級作品風であり「これだ、俺はこーゆー作品を読みたかったのだ!」という感じで、夕方から読み始めて夜中の午前3時、眼が痛くなるのも押していっきに最後まで読了してしまった(笑)。
 最終的な謎解きミステリとしては一部チョンボかという部分もあるかもしれんし、ヒトによっては解決の一部、さらには手がかりや伏線の甘さ、トリックの現実性の無さに呆れるかもしれんが、個人的には本を読みすすめ、残りページが少なくなってくる中でまだ事件の真相、火星人の正体、いくつもの謎が残されている間のテンションが正に快感であった。出来不出来いかんを越えて、評者としては題名・設定もふくめて、こういう作品が大スキということでこの評点(笑)。

No.2 5点 やさしい死神- フレドリック・ブラウン 2018/09/26 17:14
(ネタバレなし)
 メキシコに近いアリゾナ州ツーソンの町。その年の四月、初老で独身の不動産業関係者ジョン・メドリーの自宅の庭の木に、中年男の死体が寄りかかっていた。メドリーは隣人のアームストロング夫人の電話を借りて警察に通報。メキシコ系の青年刑事フランク・ラモスとその相棒で「レッド」こと赤毛のファーン・ケイハン刑事がやってくる。やがて後頭部を銃で撃たれた死体は、しばらく前に妻子を事故で失ったユダヤ系の移民カート・スチフラーと判明。殺人か? それとも人生に諦観したスチフラーが何らかの事情で無理な姿勢で後頭部を撃ち、その後拳銃がどこかに行ったのか? と可能性がとりざたされるが、ラモスは捜査を進めるなかである疑惑を抱いた。

 1956年のアメリカ作品。もともと評者は良くも悪くもフレドリック・ブラウンのミステリに対し、ホームランや大ヒット作品は期待していない。なんかキラリと光ったり、どっか心に残るものがあればいいなあ、という感じだが、そういう意味でスキな思い出の作品はいくつかある。まあそういうのって、読み返してみたら評価がずいぶんと変わっちゃう可能性も大きいんだけれど。
 本作もミステリとしての大ネタは(中略)バレバレなんだけど、小説としての狙い所はなんとなく分かるような気がして嫌いにはなれない。最後まで読むと察せられるけれど、実はこれは30男が苦い現実のなかで成長する青春小説なのである。あんまり詳しくはいえんが。そのためにミステリとしてのギミックも、当該人物が向かい合うもうひとつのドラマも機能する。なお本作のラストは今おっさんになって読んでもちょっとしみじみしたけれど、若い内に手に取っていたらもっともっと心に染みたかもしれない。これから本書を紐解く人がいい人生のタイミングで出合うことを願う。
 でもって本当は6点くらいあげてもいいんだけど、さすがに前半(あえて曖昧に言います)のあの大嘘の描写はないでしょ(汗)。私ゃあんまりしれっと書いてあるもんだから、これは確信行為で何か大技を仕掛けてくるのかと思ったよ。ここまでブラウンがミステリとしての禁則事項に無頓着とは思わなかった。苦笑しながらそれでもどっか憎めず、この評点。

No.1 7点 遠い悲鳴- フレドリック・ブラウン 2017/06/23 09:47
(ネタバレなし)
 不動産屋で失敗し、同時に仕事で心身をすり減らした三十代後半のジョージ・ウィーヴァ。一度、店を畳んだ彼はサナトリウム生活を経てニュー・メキシコ州の田舎町アロセ・ヨーコで、再出発の準備を図る。愛する2人の娘エレンとベティ、それに愛情がさめていく太った知性の足りない妻ヴィを自宅に遺して現地に来た彼は、旧友の文筆家でこれからハリウッドに向かうリューク・アシュレーと再会。彼からある依頼を受けた。それは今度、ウィーヴァが借りることになった郊外の一軒家に関するもので、そこでは8年前に若い女性ジェニー・エームズが当時の同家の家主だった素人画家の青年チャールス・ネルソンに殺害されたという。ジェニーの婚約者とおぼしきネルソンはそのまま逃亡。今もその行方は不明である。リュークは今後の創作のネタのため、ウィーヴァが滞在予定の夏期の三か月の間、彼に改めてこの事件の真実を再調査してほしいと願うが……。

 1961年に原書が刊行された作者のノンシリーズ編。邦訳は、この作者としては珍しくポケミスに収録された数少ないものの一つ。
 場面転換の早く、流れるように進むストーリーテリングの妙、さらには半世紀を経た翻訳者・川口正吉の訳文もおおむね平明かつハイテンポで、あっという間に読んでしまった。まあ総ページ数も220弱と、そんなに多くはない一冊だが。
 主人公ウィーヴァが健在な証人を訪ねてまわるうちに当時の事件の概要が少しずつ見えてくる一方、殺される直前に初めて現地に来たらしい肝心のジェニーの素性はなかなか明らかにならない。その意味では<被害者もの>のジャンルにも分類される内容だが、その煽り方はブラウンの筆が冴えた感じで実に面白かった。
 さらに終盤数十ページの話のまとめ方、クロージングの衝撃などは同じ作者のあの力技ミステリ『3、1、2とノックせよ』を彷彿させる鮮烈な印象度(もちろんミステリとしてはまったく別のことをやっているが)で、夜中に読んでいてすっかり目が醒めてしまった(笑)。まあ人によっては……かもしれない。
 ちなみに題名の意味は、物語の舞台となる山際の田舎町に響くコヨーテの遠吠えと、事件を洗い直すうちにウィーヴァの心象に聞こえてくるような、殺害される際のジェニーの絶叫、その双方を掛けたもの。邦題だとちょっとそのニュアンスがすぐに伝わらないのは惜しいね。

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以前は別のミステリ書評サイト「ミステリタウン」さんに参加させていただいておりました。(旧ペンネームは古畑弘三です。)改めまして本サイトでは、どうぞよろしくお願いいたします。基本的にはリアルタイムで読んだ...
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